【隅田川散歩】隅田川ってどんな川?川の歴史と写真から台東区を見てみよう!

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皆さんこんにちは!川が大好きなよしたにです。

横浜にある川のそばで育った私は、昔から川が身近な環境でした。

横浜というと、皆さんは「みなとみらいがある華やかな街!」というイメージをお持ちかもしれません。

でも、実際の横浜は田んぼもあるし、畑もある…もっといろんな表情を持っているまちなのです。

地域社会が大好きだった私は、まちづくり政策を学べる大学に入学。

卒業論文は、「地域づくりと川づくりを一体的に行って、魅力的なまちづくりをしましょう!」というテーマで書きました。

台東区にも、大きな川が流れていますよね。

そう、隅田川です。

すみだリバーウォークや隅田川テラスを見ればわかるように、川の周りはとても綺麗に整備されています。

まさに、区民や観光客の憩いの場ですよね。

でも、隅田川がどんな川なのか、私は気になり始めてしまいました…

今回は隅田川について、歴史や実際に歩いた写真で皆さんと一緒に学んでいきたいと思います。

いつも見ている隅田川の意外な側面が見られるかもしれません。

ぜひ、最後までお読みください。


隅田川とは?歴史から紐解く

まずは、隅田川がどんな川なのかを学んでみましょう。

隅田川は、北区の岩淵水門を起点として、北区、足立区、荒川区、墨田区、台東区、中央区、江東区を南北に流れる荒川水系の一級河川です。

管理をしているのは、東京都。

川の管理については、河川法という法律で規定されています。

一般的な一級河川の管理は、国土交通省(国)が行うことが多いのです。

その中で、東京都が管理を行っている…東京都のみを流れる河川ということも影響しているのかもしれませんね。

さて、歴史を見ていきましょうか。

江戸時代、隅田川は秩父で伐採された材木の運搬をはじめ、江戸城下の建築を支える重要な水運の要として機能していました。

川の両岸には輸送物資の貯蔵や補完をする「蔵」が立ち並び、江戸市民の生活と経済を支える存在だったのだそうです。

蔵前のあたりは、まさにそんな場所だったのでしょうね。

交通インフラとして重要な役割を果たす一方で、舟遊びや花火といったレクリエーションの場としても庶民に愛されていた隅田川。

両国橋界隈や浅草は江戸の中心地として、大いに盛り上がっていたそうですよ。

隅田川流域の盛り上がりは、1950年代半ばまで続きました。

しかし、高度経済成長が隅田川に変化をもたらします。

首都圏の道路網が成長し、それまで隅田川が担ってきた物流機能が車での輸送に移っていきました。

加えて工場排水や生活排水が隅田川に流れ込むようになり、水質が急激に悪化。

あまりの悪臭で人が隅田川に寄り付かないばかりか、なんと隅田川を渡る電車にまで悪臭が漂っていたと言われています。

水害を防ぐために作られたコンクリートの堤防はまさに無機質で、川から住民をさらに遠ざけることになっていきました。

それから何年か経って下水道が整備され、河川の水質が向上します。

さらに、堤防技術が発展してスーパー堤防や隅田川テラスが整備され、隅田川に再び人が戻ってきました。

私が先日乗船した水上バスや隅田川花火大会といったレクリエーションも、どんどん増えてきていますよね。

隅田川の水上バスについてはこちら↓

【ファン必見】銀河鉄道999の作者 松本零士先生がデザイン!浅草から水上バスで東京を旅しよう!隅田川経由でお台場へ

水質の改善と堤防の進化、そしてテラスが隅田川に再び人を呼び込むきっかけになったのかもしれません。

さあ、座学はこれでおしまい。

せっかくなので、一緒に隅田川をひたすら歩いてみましょう。

隅田川を歩く-さまざまな発見が!

さあ、せっかくなので隅田川を歩いてみましょう!

まずは、浅草からスタート。

駒形橋から隅田公園を抜けて、荒川区との境である白鬚橋の方に向かいます。

駒形橋は1927年に竣工したアーチ橋で、橋の名前は駒形橋の西詰にある浅草寺の御堂「駒形堂」が由来だそうです。

橋の横には、このようにカメラスタンドがありまして。

スマホしか持っていなくても、スマホスタンドもついているので綺麗な写真を撮ることができますよ!

さあ、北に向かって歩きましょうか。

駒形橋をくぐるトンネルが、なんだか幻想的…!

インスタにこのトンネルが載っていたら、なんだかときめいてしまいそうです。

トンネルをくぐって、さらに歩いていきましょう。

すみだリバーウォークにやってきました。

実は、すみだリバーウォークを渡ったことがなかった私。

せっかくなので、渡ってみませんか?

と、勇んで渡ろうとしたら。

恋人の聖地になっているんですね…知らなかった…

南京錠がジャラジャラついていて、恋人同士の名前が書いてある感じです。

観光地に行くと、こういうところけっこうあるけれど…いつもスルーしてしまいます(笑)

さて、いよいよ隅田川の真上です!

水面がキラキラしていて、とても綺麗ですね!!!

この季節特有のキリッとした冷たい空気も相まって、気持ちがシャキッとします。

先日水上バスの取材で乗船した、ホタルナ号も撮影できました!

こうして見ると、隅田川には本当にたくさんの橋がかかっているのですね。

東京という場所の重要性を、改めて感じます。

さあ、いったん墨田区側へ渡り、もう一度戻りましょう。

すみだリバーウォーク周辺の隅田川を観察すると、墨田区側は水門があるためかほとんど河岸に近づくことができません。

一方、台東区側はひたすら隅田川テラスが続いていて、散歩には最適なシチュエーション。

すみだリバーウォークを降りて、さらに川沿いに進んでみましょう。

こちらは、言問橋。

1923年に竣工した橋で、橋ができる前は「竹屋の渡し」という渡し船が通っていたそうです。

さあ、まだまだ行きますよ〜!

河口からの距離を示す距離標も、趣向が凝らされていてとても素敵ですね。

これは、多分纏(江戸時代、火災の時に町火消が用いた旗)かな?

さらに歩いていくと…

またまた、猫ちゃんに遭遇。

かわいいいいいいいいいいぃ!!!!!

それにしても…最近、私は完全に岩合さんと化している気がします…(笑)

さあ、白鬚橋が見えましたよ!

本当は、さらに川を歩いて橋のそばまで行きたいと思っていました。

しかし、残念ながらテラスが改修工事中。

ぐるーりめぐりんに乗って、浅草に戻りましょう。

今度は、浅草から蔵前、浅草橋方面を目指しますよ!

吾妻橋に戻ってきました。

今度は、南に向かって歩いてみましょう。

こちらは、厩橋。

1929年に竣工したアーチ橋です。

こうして隅田川にかかった橋を見ていくと、どれも非常に歴史があることがわかりますね。

さらに進みましょう。

足、疲れていないですか?

こちらが、蔵前橋。

1927年に竣工した橋です。

ここまで来てようやく気づきましたが、関東大震災を受けて復興目的でかけられた橋が非常に多いのですね。

ここまで来れば、もうちょっとでゴールですよー!

浅草橋まで来ました!

総武線の隅田川橋梁です。

1932年、それまで両国止まりだった総武線を御茶ノ水まで延伸するためにかけられた橋なのだとか。

以前南めぐりんの旅をした時も撮影しましたね。

あの時は曇り空で良い写真が撮れなかったけれど、今回皆さんと一緒にリベンジが果たせて嬉しいです!

隅田川テラスは、ここまででいったん途切れています。

付近で合流する神田川を渡れば、そこはもう中央区。

というわけで…台東区内の隅田川、これにて全走破です!!!

本当に、お疲れ様でした。


まとめ

いやー、たくさん歩きましたね…

個人的には、今まで歩いてきた台東区をまた違う視点で見ることができて、とても有意義な時間でした。

隅田川の歴史を学んでから実際に歩いてみると、川やまちの見え方が全く違いますよね。

本来、勉強ってそういうことなのかもしれないな…と思いました。

川もまちも、奥が深くて本当に面白い!

ぜひ、また一緒に出かけましょう。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。


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ライター紹介

よしたに

フォトライター

鉄道ライターとして、デアゴスティーニ『JR全路線DVDコレクション』や『鉄道ジャーナル』など、鉄道雑誌やWebメディアへの記事掲載多数。 台東区を歩いて感じながら、皆さんと台東区を楽しみたいと思っています。 趣味はクラシック音楽鑑賞や料理、野鳥観察などです。
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