鎌倉時代から続く歴史がテンコ盛りのお寺?谷中七福神の毘沙門天を祀る天王寺

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サェンバェノー!どうもこんにちは、メッシンタです!

突然ですが、今の挨拶はどこの国の「こんにちは」でしょうか?

正解は、モンゴル語でっす!

何でモンゴル語の挨拶をしたかっていうと、それは今回紹介する天王寺(てんのうじ)が、なんと鎌倉時代から続くからです!

やはり鎌倉時代と言えば、元寇(げんこう)です。

当時、世界で強大な国家であったモンゴル系王朝の元(国)の侵攻を、日本は2度も防いでいるのですからね。

皆さんも薄っすらと記憶に残っているのではないでしょうか。

今回はそんな鎌倉時代から続く、天王寺について紹介したいと思います。

それでは本編へ!


天王寺の始まり

天王寺は先程から言っているように、鎌倉時代に創建されました。

鎌倉時代後期の14世紀末、土豪(その地域一体を支配していた豪族・領主)の屋敷に当時から偉かったお坊さんである、日蓮(にちれん)上人が宿泊した際に、その土豪が日蓮上人に帰依(神や仏にすがること)したことにより、始まります。

その際に創建されたお寺の名が、天王寺の前身となる感応寺(かんのうじ)です。

感応寺(かんのうじ)の所属する仏教の宗派は、日蓮宗であり、現在所属する天台宗ではありませんでした。

皆さんもすっごい複雑だな~って思っていることでしょう。

理解するの難しいですよね!

ですので、その地を支配していた領主が、偉いお坊さんの日蓮さんにすがり、その教えのもと感応寺というお寺を建てた、と認識しておいてください!

少しは分かりやすくなりましたかね?

分かりにくかったら、すいません。ショックですが。(笑)

鎌倉時代は新しい仏教の宗派が、たくさん生まれます。

日蓮上人の教えのもとで生まれた日蓮宗(法華宗)の他にも、法然(ほうねん)上人の浄土宗、親鸞(しんらん)上人の浄土真宗、一遍(いっぺん)上人の時宗、栄西(えいさい)上人の臨済宗、道元(どうげん)上人の曹洞宗といった、皆さんが一度は聞いたことがあるような仏教の宗派が6つも生まれました!

また、禅の文化が生まれたのも鎌倉時代ですからね。

では、なぜこんなにも鎌倉時代に新たなものが誕生しているのでしょう。

それは、鎌倉時代以前と以後とでは大きく時代の様相が変わったからだと言えます。

鎌倉時代は、鎌倉幕府の武家政権によって政治が行われていました。

ですが鎌倉時代以前である、平安時代などは天皇や公家らによって治められていたのです。

支配階級が変われば、下々の民の暮らしの様相や求めるもの(すがりたくなるもの)が変化するのは当然と言えますよね。

ですから、鎌倉新仏教と言われる先程の6つの新たな宗派が生まれた、というのも納得がいきます(渾身の力説(笑))

本当の意味での天王寺の誕生

そんな感応寺は、江戸時代に廃寺の危機に遭います。

それは日蓮宗の教義である不受不施派(ふじゅふせは)が江戸幕府によって、邪宗(それはダメだぞ!ってお叱りをくらった)と見做されたためです。

不受とは日蓮宗以外の人からお布施(ふせ)を受け取らないこと、不施とは日蓮宗以外の人には説法(教えを説かない)をしないということです。

そういった訳で、感応寺はピンチに陥っていたのです。

ですが鎌倉時代から続くお寺が無くなることを惜しまれ、1698年に現在の天台宗へと宗派を変えることで存続することになりました。

そして、現存する天王寺が生まれたというわけです。

これが本当の意味での天王寺の誕生とも言えますね!

この時に合わせて、1699年に七福神の1つである毘沙門天像を本尊として迎えました。

これより谷中七福神としての歴史も始まるというわけです。(現在の本尊は阿弥陀如来像であるが、毘沙門天像も天王寺内にあります)

そう考えると、谷中七福神としての歴史も相当長いですよね~。

江戸時代は正にこの谷中七福神の1つとして、栄華を極めました。

「富くじ」と呼ばれる、今でいう宝くじのようなもので富を高め、あの有名な北野天満宮目黒不動滝泉寺と並び、江戸の三富と呼ばれるほどだったそうです。

皆さんも一度は聞いたことがあるのではないでしょうか?

こういった歴史を新たに発見するのも面白いですよね!

焼失の歴史

お寺や神社などの歴史的建造物にとって、どうしても火災等による焼失って付き物ですよね。

例に漏れず、天王寺も数々の焼失の憂き目に遭っています。

江戸時代末期の幕末、日本では忍び寄る欧米列強に早急に対抗するべく国を変えようと立ち上がった者たちと(明治政府・新政府)、少しずつ形を変え欧米列強と対抗しようとした者たち(江戸幕府・旧幕府)との間で戊辰戦争(ぼしんせんそう)という内戦が勃発します。

ちなみに以前今戸神社
新選組沖田総司終焉の地で、ドラマ「恋はつづくよどこまでも」のロケ地?恋に歴史に属性盛りだくさん、今戸神社!
についての記事で紹介した沖田総司ら新選組は、旧幕府軍側にて戦います。

戊辰戦争は約1年半かけて、日本全国を縦横断する形で行われました。

そのうちの1つの戦いである、上野戦争にて天王寺は焼失してしまいます。

その時は、本坊と五重塔を除いた全てのものが焼失してしまったそうです。

どちらの軍も日本という国を思い、戦っていたとしても、歴史的建造物が失われてしまうのは、遣る瀬無いですよね。

さらに五重塔も昭和32年に放火心中事件によって、焼失してしまいました。

そういった過去・歴史を経て、現在の天王寺が存在していると思うと、何か歴史の厚みを感じます。

天王寺は特に歴史が深く、濃かった気がします!


まとめ

ここまで見て下さってありがとうございました。

いつにもまして、歴史用語などが今回は多くなってしまいました(汗)

それだけ歴史が深いとも言えますが。

僕なりに嚙み砕いた説明をするように心掛けたのですが、どうだったでしょうか。

少しでも天王寺含め、歴史に関心が向けられるように出来たなら幸いです!

「ぜんっぜん分かんね―よ!」って思われたら、すみません。力量不足です!

これからも頑張るので僕の記事を見続けて、その成長するさまを見ててください!(笑)

お願いします。

露骨な媚び売りですね。はい。すんません!(笑)

そんな話はさておき、天王寺について簡単にまとめさせていただくと、

・鎌倉時代に創建された
・紆余曲折を経て生まれた天王寺
・過去には江戸の三富と呼ばれるくらい栄えていた
・焼失の憂き目にあった上で現存する現在の天王寺
・まさに歴史がテンコ盛りの一言が相応しい
・JR日暮里駅より徒歩2分という利便性

といった感じでしょうか。

皆さんも是非天王寺に足を運んでみて下さい!

それではここまでホントにありがとうございました。

ジャネバーイ!

天王寺(護国山尊重院天王寺)
住所:東京都台東区谷中7-14-8
電話番号:03-3821-4474



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ライター紹介

メッシンタ

めぐり部/フリーライター

年齢/20歳。学歴/現役大学生。趣味/サッカーすることとサッカー観戦。性格/素直。 夢/死ぬまでにイングランドのリバプールに行ってホームスタジアム・アンフィールドで生観戦すること。 後はお金持ちの妻子持ちになること。
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