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何で上野に西郷さん?上野恩賜公園に立つ西郷隆盛像の謎。-歴史から今を学ぶ-

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こんにちは、とくらです。

上野恩賜公園をぶらぶらしていると、本当に素敵な気持ちになれますよね。

広大な土地と生い茂る木々に、都心とは思えないすがすがしさを感じます。

ところで、上野公園といえば西郷隆盛像が有名ですが、なぜあそこに西郷どんが?と疑問に思ったことはありませんか?

薩摩藩ということは、鹿児島の出身のはずでは?

それにしても、なぜ上野なのか。

都内でゆかりがありそうなのは江戸城くらいしか浮かびません。

犬の散歩をするには確かに良い場所かもしれませんが、なぜ東京の上野に?

さて、今回は、なぜ西郷隆盛像が上野公園に建てられているのかをご紹介したいと思います。


西郷隆盛とは

なぜ上野にあるのか?という疑問の前に、西郷隆盛という人物について少し触れておきましょう。

有名な人物ですが、意外と知らないことも多いかもしれませんよ。

皆さんご存じ西郷隆盛は幕末から明治初期にかけての政治家で陸軍軍人です。

1828年1月23日、西郷隆盛は薩摩藩の下級武士の長男として生まれました。

幼名は小吉、通称は吉之介、善兵衛、吉兵衛、吉之助。

確かに吉之助のイメージはありますね。

私も調べていて驚いたのですが、なんと、「西郷隆盛」という名前は彼のお父さんと全く同じなのです。

なぜこんなことが起こったのでしょうか?

実は、階位を与えられた際に、親友の吉井友実が誤って父の名で届け出てしまい、そのまま父の名前を名乗り続けたからなのだそう。

そんなこともあるんですねえ。

西郷隆盛31歳の時、安政の大獄によって幕府に追われた僧侶と共に海に身を投げます。

しかし、奇跡的に西郷は助かり、亡くなったものと偽って奄美大島に潜伏していました。

この時、回復には1か月を要したと言われています。

大変な重症だったようですね。

その後、島津久光の下で力をつけていた大久保利通のはからいによって、薩摩に戻ることがかないますが、今度は島津久光の怒りをかって沖永良部島の牢獄に閉じ込められてしまいます。

何とも不遇の30代…

とても無血開城の立役者とは思えない不遇っぷりです。

この2年後、罪を許され薩摩に戻った西郷は、大久保利通と共に倒幕に向けて活躍を続けます。

38歳の時、薩長同盟を締結、戊辰戦争での江戸総攻撃を勝海舟との話し合いによって中止するなど、まさに幕末期のヒーロー的な活躍です。

この戊辰戦争での働きが、あの有名な「江戸無血開城」ですね。

戊辰戦争後、明治新政府に一時は参加しますが、明治6年新政府を去り、故郷である鹿児島へと変えることになります。

ちなみに、初めて「西郷隆盛」という名前を用いたのはこの頃。

この後、西郷は薩摩の不満の溜まっていた士族と挙兵し、新政府軍と戦いますが敗北、鹿児島城山で自害したと伝えられています。

これが有名な「西南戦争」です。

本当は反乱を起こしたくはなかったが、士族の鎮静化のため仕方なく挙兵したと伝えられています。

新政府軍に迎え入れられながらも、故郷で挙兵し散った西郷の胸中は計り知れませんが、何とも悲しい最期ではないでしょうか。

なんで上野に西郷どん?

さて、それでは本題です。

なぜ上野に西郷隆盛の銅像があるのでしょうか?

その理由は、西郷が新政府軍陸軍人として戦ったことにあります。

一時期は新政府軍に身を置いた西郷。

この時、旧幕府軍との最後の戦い「上野戦争」がありました。

彰義隊と新政府軍との戦争です。

上野の寛永寺正門では両軍の熾烈な衝突があり、この際に西郷の指揮で旧幕府軍の防御を突破することができました。

後に、西郷の功績を称え、宮内省から500円を下賜され、全国の25000人にも及ぶ有志から寄付を受け西郷の像は建立されました。

除幕式が行われたのは、西郷の死後21年経った後のことです。

さて、この西郷隆盛像ですが、たびたび「本当に本人に似ているのか?」ということが話題になりますね。

それもそのはず、本人の写真は一切残っていないため、確認のしようが無いのです。

生前に面識のあった板垣退助などは、あまりに似ていないため、新たに肖像画を2点も作成したそうです。

よほど似ていないと思ったんでしょうね…

しかし、現在残っている肖像画や銅像の元になった絵は、弟の顔の上半分、従弟の顔の下半分をつなぎ合わせて、親族の話を聞きながら描かれたものだということですから、多少の面影はあるのではないでしょうか。

西郷の写真が残っていないのは、単に写真が嫌いだったからとも、顔を知られて暗殺のリスクを恐れたためとも言われていますが、実際のところはどうだったのでしょうか。

西郷隆盛の像は、京成上野駅を降りてすぐ彰義隊墓所の横に立っています。


まとめ

いまや上野恩賜公園の顔とも言える西郷隆盛の銅像。

本当は顔が似ていないというのは何だか可笑しな話ですが、その功績を称える人々の気持ちと、周りの人から愛された人柄を表す、とても素敵な像のような気がします。

また、何人もの人々が「似ている」「似ていない」と喧々諤々したというのも、多くの人々に慕われた西郷隆盛を表しているようです。

これからも日本を上野から見守っていてくださいね、西郷さん。


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ライター紹介

とくらじゅん

イラストレーター・ライター

1991年生まれ。下町暮らしのフリーライター・イラストレーター。 妖怪イラスト、育児漫画、ADHDエッセイなどを書いています。
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