源頼朝、足利尊氏、徳川家康とも関わりがある?知れば知るほど歴史が深い浅草・浅草寺
お久ぶりです!やっはろーどうもメッシンタです!
皆さん僕のこと覚えてますかね?
忘れちゃってるって?ひどいなー。(笑)
ではそんな忘れてしまってる人もいるかもしれないので、改めて自己紹介しますね!(笑)
ペンネームはメッシンタ、年齢は21歳の大学生、身長175cmの体重59kgです。
小学校から高校卒業までサッカーをずーっとやっていた、スポーツ少年!
好きなサッカーチームはイギリス・イングランドのリバプール(ファン歴10年)です!
ここまでは以前にもお話したことがあったので覚えて下さっている方もいるかもしれません。
そんなスポーツ少年な僕ですが、もう一つ僕の人生を語る上で欠かせないものがあります。
そうそれが、今回のテーマに関連してくる歴史・日本史です。
今記事はその中でも知らない人がいないであろう「浅草・浅草寺」について紹介していきます。
皆さんも人生に一度は行ったことがあるのではないでしょうか。
実は浅草寺はとーっても歴史が深い由緒あるお寺なのです。
今回は皆さんにその「浅草寺」の歴史について知ってもらえたらいいなと思っています!
ではまだまだ拙いところがあるかもしれませんが、お付き合いのほどよろしくお願いいたします!!
浅草寺のその歴史・始まり
浅草寺はなんと1400年もの歴史を誇る、聖観音宗(しょうかんのしゅう)という天台宗(仏教の中でも大きな宗派)から派生した、比較的新しい宗派の総本山です。
その始まりには、とても興味深い逸話があります。
時は飛鳥時代、推古天皇36年の3月18日早朝、漁をしていた主従がご本尊・観音様を発見し、網で引きあげ、草堂に安置したことで、浅草・浅草寺の歴史が始まります。
飛鳥時代、推古天皇と聞いて、なんか聞いたことがあるぞ?と思った方もいるのではないでしょうか。
そう、聖徳太子の話が出てくる時代で、推古天皇と聖徳太子は協力し合って政治をしていましたよね。
また推古天皇は数少ない女性天皇としても有名です。
思い返してみれば、聖徳太子を歴史で習ったのはすごく最初の方ではなかったでしょうか。
時代としては古い順から数えても早い方ですね。
その歴史、古さ、そこからずっと寺が存続し続けているのがすごいことが分かると思います。
浅草寺のその歴史・お坊さんたちによる中興
中興、いわば再び繁栄させたお坊さんが何人かいます。
ただ、そのお坊さんの名前を堅苦しく覚えるのも大変かと思うので、「そういうお坊さんがいたんだー。」くらいに思っていてください。
645年に勝海上人(しょうかいしょうにん)というお坊さんが観音堂(観音像が安置されている場所)を修造しました。
時は進み857年、比叡山第3世天台座主慈覚大師円仁様というとっても偉いお坊さんが浅草寺にやってきました。
この慈覚大師円仁様が中興の祖と呼ばれています。
比叡山も聞いたことがある方が多いのではないでしょうか。
そう、織田信長によって引き起こされた「比叡山延暦寺焼き討ち」ですね。
この比叡山延暦寺もとっても由緒正しいお寺なのです。
そんなお寺の偉いお坊さんによって、浅草寺は再興されたのです。
浅草寺のその歴史・名だたる武将との軌跡
はじめに紹介する武将が、源頼朝(みなもとのよりとも)です。
多くの方がご存知なのではないでしょうか。
そう、初めて武家(武士の家)による政権を確立した鎌倉幕府の初代将軍です。
そんな源頼朝は、観音様をとても篤く信仰しており、1180年、平家追討の戦の際に浅草寺に立ち寄り、戦勝を祈願しています。
ここに出てくる平家とは、平清盛が繁栄させたお家のことであり、当時この平家は栄華の頂点を極めていました。
ただ分かりやすく言うと、平家は偉くなっていったあまり、天狗になってしまい、武家からも公家からも嫌われてしまったのです。
そこでもう一つの由緒正しい武家である源氏、源頼朝に目を付け、源氏と平家による天下を懸けた戦いが日本中で行われたのです。
そんな戦の中で源頼朝は浅草寺に戦勝の祈願にやってきたのです。
また源頼朝は1189年、奥州平泉(現在の岩手県)の藤原氏征討の際に、戦勝を祈願し、田園を寄進(寺社に自ら金品を寄付すること)しています。
この奥州藤原氏は源頼朝と、簡単に言うと命がかかった兄弟喧嘩をしている源義経を匿い続けたことで、征討されてしまったのです。
またこの兄弟喧嘩も源頼朝が源義経という、源平合戦で活躍した兄弟がいることで自身に取って代わって当主になるかもしれないと、危惧したため引き起こされたとも言われています。(諸説あり)
次に紹介するのが、室町幕府初代将軍の足利尊氏(あしかがたかうじ)です。
こちらも皆さん歴史を習った時に有名な人物として、記憶している方は多いのではないでしょうか。
足利尊氏もまた、浅草寺にやってきており、この浅草寺の寺領(寺が持つ領地)を安堵しています。
室町幕府を成立させるに至ったこの足利尊氏もまた、源氏の流れ・血筋を汲む家であり、武家の棟梁・征夷大将軍となるための家格としては十分に満たしていました。
征夷大将軍となり、幕府を開いた両家、源氏と足利氏も共に源氏の流れ・血筋を汲んでいたことから、征夷大将軍となり幕府を開くためには源氏の血筋でなければならないと言われていたそうです。(諸説あり)
ただ次に紹介する武将である徳川家康は源氏の血筋を汲んでいると称しているが、あくまで自称していただけでした。
これが征夷大将軍となり幕府を開くためには、源氏の血筋を汲んでいなければならないとも言われる所以ですね。
そして最後に紹介する武将が、先ほども出てきた徳川家康です。
こちらの人物は日本において知らない人がいないといっても過言ではない、戦国三英傑の一人の人物ですね。
他の二人は誰かというと、こちらも皆さんご存知、織田信長と豊臣秀吉です。
そんな三英傑の一人で最終的な天下を取った天下人かつ、征夷大将軍となり江戸幕府初代将軍となった徳川家康も戦勝の祈願をしています。
それは天下分け目の戦いと言われている関ヶ原の戦いの直前であり、家康は平氏追討の際の源頼朝公に倣い、浅草寺のお坊さんを呼び、浅草寺にて戦勝の祈祷をお願いしたそうです。
この三名の武将を紹介したことからもわかるように、各時代における時の権力者の庇護を浅草寺は常に受けてきました。
裏を返せば、時の権力者の庇護を受けるほどに、その寺としての実績と信頼が積み上げられていたのではないでしょうか。
浅草寺のその歴史・庶民との歩み
浅草寺は時の権力者とだけ結びついていただけでなく、庶民・民衆ともその関りは深くなりました。
浅草一帯が江戸の市街地として吸収されると、浅草寺は幸楽の場としても栄えました。
参詣や行楽・歓楽にやってきた人々であふれていたそうです。
これは現在の浅草寺にも受け継がれている部分です。
仲見世通りなんかがいい例です。今も常に賑やかですよね。
その光景は多少の変化はありますが、江戸時代から脈々と受け継がれて来たと思うと、感慨深いものを感じませんか?
また浅草寺は本堂や諸々などが何度も危機に合い、焼失しています。
それは大正時代の関東大震災や昭和時代の東京大空襲など々のことです。
しかし、そのたびに浅草寺は再建され、現在に至ります。
これは浅草寺という一つの寺が町民・民衆に愛されていなければ、あり得なかったことだったと思います。
そういった歴史も浅草寺からは学んだり、感じたりすることが出来ます!
チラッと浅草寺紹介!
浅草寺のシンボルと言えばの、この雷門も実は何度は再建されて今に至るのをご存知でしょうか。
雷門は何度も焼失と再建を繰り返しており、現在の雷門は1960年に松下電器産業(現パナソニック)の社長・松下幸之助氏の寄進により再建されたものとなっています。
実は今の雷門が再建されるまで95年もの間、雷門は存在していなかったそうです。
現在も五重塔は現存していますが、この五重塔も何度も再建されています。
こちらの絵は1886年の再建の際の様子が描かれたものです。
この時、修復費を捻出するために一般の参拝者にも足場を登らせ、その費用の足しにしたそうです。
この絵のように足場を登り、景色を眺めたりしたそうだが、この絵だけを見るととても危険に見えます。(笑)
ただ怖いもの見たさで、登ってみたくなる気持ちも分かります!
こちらが浅草寺全体の地図です。
改めてみると、めちゃくちゃ広いです。
皆さんが普段行かれるのはもしかしたら、雷門から本堂までの一直線だけかもしれないので、あえて他の色んな所に行ってみても新しい発見があるかもしれませんね!
まとめ
ここまで見て下さって、ありがとうございました!
久しぶりの記事だったんですが、どうだったでしょうか。
今回は普段知らない、浅草寺の歴史についてを中心とした記事を書かせていただきました。
浅草寺の魅力を分かりやすくまとめさせていただくと、
・創建1400年という都内最古のお寺を都内にて肌で感じられる
・名だたる武将も庇護をしてきた歴史がある
・何度も焼失の憂き目にあってきたが、その度に再建されてきたその歴史も実感できる
・仲見世通りなど江戸時代から変わらぬ光景を目にすることが出来る
といったところでしょうか。
こういった歴史背景も知った上で、改めて浅草寺に行くとこれまでと違った見方で楽しむことが出来るかもしれませんね!
この記事をご覧になってくださった皆さんもぜひ行ってみて下さい!
違ったもの・景色に感じるかもしれませんよ!
それではここまでホントにありがとうございました。
ジャネバーイ!
浅草寺
住所:東京都台東区浅草2-3-1
電話番号:09-3842-0181
営業時間:諸堂は午前6時開堂~午後5時閉堂(10月~3月の開堂時間は午前6時30分)
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