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【わかりやすく解説】東京都内最古の寺「浅草寺を知る」浅草寺の歴史や由来について

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外国からも日本からも多くの観光客が訪れる東京のシンボルの1つ、「浅草寺」。

入口にある「雷門」と書かれた提灯は迫力があり、中へ入ると赤を基調とした建物がずーっと奥まで続きます。

見所満載の浅草エリアの中で皆さんも一度は訪れたことがある場所でしょう。

しかし、「浅草寺の歴史や由来について知っている?」「あさくさと呼ぶ場合とせんそうじと呼ぶ場合はなぜ違っているのだろう?」そう問いかけられて答えられる方はいますか?

実は、とある兄弟が漁をしているとき、網に仏像を引っ掛けたことが浅草寺の始まりとされているんです!

今回の記事では、意外と知られていない浅草寺の歴史についてわかりやすくご紹介します。


浅草寺の歴史

浅草寺の歴史は今から1400年ほど前の飛鳥時代までさかのぼります。
628年3月18日の早朝、今の隅田川である、宮戸川と呼ばれる川で漁をしていた、檜前浜成・竹成(ひのくまのはまなり・たけなり)兄弟の投げた網に、ある1つの仏像が引っ掛かりました。

仏像に詳しくなかった兄弟はその仏像を水の中に捨て、その後何度も場所を変えて漁を行いましたが、魚は捕まらずそのたびに仏像が引っ掛かるばかりであったので、しかたなく持ち帰ったとされています。
その後、土師中知(はじのなかとも)という兄弟の主人であり土地の長出会った人物に見てもらうと、それが聖観音菩薩像であることがわかったのです。
これが今の浅草寺本尊の聖観音像になったとされています。

翌日、土師中知は草で造ったお堂にこの観音さまを祀りました。これが浅草寺の始まりでした。
浅草寺の言い伝えとして「観音さまが現れた日、一晩で辺りに千株もの松が生じた」「3日後には天から金の鱗を持つ龍が松林の中にくだった」なども現世まで語り継がれています。

645年、勝海上人という僧が立ち寄り、観音堂を修造しました。その夜、上人の夢に観音さまが現れ、「みだりに人前に私を出してはならない」という忠告を受けました。
そのため、観音さまは「絶対秘仏」と定められており、現在まで寺の住職でさえも実物を見ることを慎んでいます。

その後、浅草の地は宗教的な聖地として発展を遂げていきます。
942年浅草寺にこもって祈願することを願った平公雅が武蔵(浅草寺があった場所)の国守(その国の長官)を務め、七堂伽藍(仏教寺院の主要な七つの建物)の整備をしました。

そのため、浅草寺は日本最大級の霊場となり一層の信仰を集めたとされています。
この時、浅草寺のシンボルである、雷門や五重塔も建立されたそうです。

大きくなり信者を集めた浅草寺も、大災害には敵いませんでした。

1041年に起こった大震災により、浅草寺はあらかた倒壊してしまい、境内は荒れ果ててしまいました。

これをみた寂円上人という人物が荒れ果てた浅草寺を見て再建を志し、震災から10年後の1051年には再建が完了しました。

しかし、この本堂もわずか28年後の1079年に原因不明の火災に見舞われてしまいます。この時、観音さまは自ら炎のないほうへ避難したとの言い伝えも残されています。

その後、1169年に用舜上人が中心となり再建されます。2度目の浅草寺再建の言い伝えとして、大雨が降り注ぎ、その勢いに助けられ必要な木材が次々と隅田川を流れ、数多くの木材を無事に確保できたとされています。

古くからある隅田川は観音さまの出現、木材の調達など、浅草寺と非常に深い関係にあるようですね。

その後、歴史上の人物として名だたる面々が浅草寺を訪れます。

1180年には平氏討伐を進める鎌倉初代将軍源頼朝が勝戦を祈願、1352年には室町初代将軍足利尊氏も参拝しに訪れたとされています。足利一族とのつながりは特に深く、本堂をはじめ、造営修復に寄与したそうです。

1590年、徳川家康が江戸に入府しました。

家康が信頼を置く、慈眼大師天海の進言もあり、浅草寺を祈願所(来世の福徳を祈願する場所)として浅草寺を選びました。浅草寺を選んだ理由に関しては諸説ありますが、家康が尊敬していた武家政治の創始者である源頼朝が信仰してきた由緒正しい寺院と考えていたからとされています。さらに家康は寺領(寺に付属する領地)として500石を寄進しました。

浅草寺は時代とともに拡大していく江戸の市街地に吸収され、参詣や行楽を目的とした人々が集まる、江戸有数の盛り場となりました。水茶屋の看板娘たちが浮世絵のモデルとなったり、見世物小屋が集まり曲独楽や奇術が行われ参詣客を楽しませたりと盛り上がりを見せていたようです。

大きくなり信者明治維新後、武家政治も次第に衰退し浅草寺の寺領は太政官布告によって公収され、東京府の管轄となりました。

しかし、浅草はこれ以降も庶民の盛り場、娯楽譲渡して発達し、浅草寺はそのシンボル的存在であったことは変わりありませんでした。
1873年には境内が公園地に指定され、1885年には今もなお活気を見せている「仲見世」が現代的なレンガ造りの建物に再建されました。

さらに、1890年には浅草寺の西側に日本初のエレベーターを備えた凌雲閣(浅草十二階)という商業施設兼展望塔ができました。

その後、東京大空襲で本堂が焼けてしまったりなどもありましたが、天皇やご信徒の協力もあり、1400年の長きにわたり、今もなお浅草寺は浅草の地にシンボルとして輝いているのです。}


まとめ

今回の記事では意外と知られていない浅草寺の歴史についてご紹介しました。

何気なく東京の観光名所として立ち寄ったことのある方もこの記事を読み訪れてみると、長きにわたり多くの人に支えられてきた浅草寺の歴史や文化を改めて感じることができるでしょう。

東京都最古の浅草寺。今一度訪れてみてはいかがでしょうか?

浅草寺
東京都台東区浅草2丁目3-1
東武スカイツリーライン 浅草駅より徒歩5分
東京メトロ銀座線 浅草駅より徒歩5分
つくばエクスプレス 浅草駅より徒歩5分
都営地下鉄浅草線 浅草駅A4出口より徒歩5分


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ライター紹介

さこた

フリーライター

愛知県生まれ。元IT企業の営業からフリーライターに転身。 カフェ巡り、絶景スポット、カメラ、ボードゲームが大好き。 台東区の魅力をたっぷりお伝えしていきます。
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