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【恐れ入り谷の鬼子母神】狂歌が面白い!大田南畝ってどんな人?

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こんにちは、とくらです。

先日の記事で「恐れ入り谷の鬼子母神」という地口(洒落・言葉遊び)をご紹介しました。

さて、この有名なフレーズですが、一体どんな人が言い出したのでしょうか?

たいていダジャレは誰が最初に言ったかなんてわからないことが多いものですが、実はこの地口には明確な始まりがあるそう。

それが、大田南畝の狂歌です。

今回は、この「恐れ入り谷の鬼子母神」を最初に生み出した狂歌師「大田南畝」についてご紹介します。


大田南畝



「恐れ入谷の鬼子母神、どうで有馬の水天宮、志やれの内のお祖師様」


この有名な洒落は大田南畝という江戸時代の狂歌師の作です。

蜀山人という名前でも知られていますね。

唐衣橘洲(からころもきっしゅう)、朱楽菅江(あけらかんこう)と共に、狂歌三大家と言われています。

生まれは貧しい下級武士の家でしたが、幼いころから文学に親しみ、国学や漢学、漢詩、狂詩などを学びました。

17歳の頃に幕臣となりますが、学問を続け、19歳の時には狂詩集を刊行して評判を集めます。

南畝の作品は、国学や漢学などの知識を背景にした作風だったことが当時の知識人たちには好評だったようです。



しっかりした職業に就きながらも、もう一つの顔として詩や歌を作っていたんですね。

二十歳頃からの南畝は四方赤良という号で活動を始めます。

これは「夜もすがら」のもじりだそうです。

狂歌師は何かのもじりだったり、ちょっとふざけたような号で活動する人が多かったようです。

同じ時代には宿屋飯盛(やどやのめしもり)や頭光(つむりのひかる)という狂名で活動していた人も居ました。

なんだかインターネット上のハンドルネームみたいで面白いですね。

さて、30代になった頃『万載狂歌集』という歌集を編集します。

これは、有名な『千載和歌集』のパロディです。

232人もの狂歌師の748首を収めた狂歌集で、構成も千載和歌集を模しています。

この『万載狂歌集』がきっかけとなり、それまで関西で発達していた狂歌が江戸で社会現象化することになりました。

この『万載狂歌集』ではどんな狂歌が選ばれていたのでしょうか?

少しご紹介したいと思います。


”あなうなぎいづくの山のいもと背をさかれてのちに身をこがすとは”

四方赤良

これは、恋の部に掲載されており、藤原定家が読んだ、

”来ぬ人をまつほの浦の夕なぎに焼くや藻塩の身もこがれつつ”

をお題にして読んだ歌です。

「恋人同士の中を割かれるように、うなぎは背を割かれて身を焦がされる。辛いなあ。」

というような感じでしょうか…

鰻と恋とというこの発想がなんともばかばかしく、語感も面白い歌です。

他にもくすっと笑ってしまうような歌がたくさん載っているのでぜひ一度見ていただきたいです。

面白おかしく、それでいて過去の歌を背景として読んでいる、なんだか粋で素敵な遊びですよね。


この頃、南畝は旗本から経済的な援助を受けるなど精力的に活動していますが、寛政の改革が始まると、風紀に対する取り締まりが厳しくなっていきます。

これにより、今まで援助をしてくれていた人や同僚たちが処罰を受けるといったこともあり、南畝自身への処罰はなかったものの、風当たりが強くなっていきました。

これを機に、南畝は狂歌の筆を置きます。

その後、約十年後の大阪銅山への赴任をきっかけとして「蜀山人」の号で狂歌を再開しました。


この頃の号が現在でも有名になっているんですね。



面白おかしい書き物で有名な南畝ですが、59歳の頃に偶然、永代橋崩落事故を見たことから、その様々な記事、風聞を集めた『夢の憂橋』という本を記しています。

これは、隅田川にかかる永代橋がお祭りの日に崩落し、多くの死傷者・行方不明者を出した大事故の記録です。


目の前で橋が落ちるというとてつもないインパクトと、この悲劇的な事故の詳細を書いて残さねばならないという書き手としての使命じみたものを感じたのかもしれません。

随分作風が異なるようですが、永代橋崩落事故は史上最悪の落橋事故とも言われており、大変なショックだったのだろうと思われます。

南畝は、この事故に寄せて、このような狂歌も詠んでいます。

”永代と かけたる橋は 落ちにけり きょうは祭礼 あすは葬礼”

狂歌ではありますが、面白いというよりも、寂しさの感じられる歌です。




『夢の憂橋』を出版した後の南畝は、75歳まで幕臣として働き続けます。

最後まで真面目な役人の顔と文化人の顔を併せ持った人だったようです。

辞世の句は、

”今までは人のことだと思ふたに俺が死ぬとはこいつはたまらん”

と伝えられています。

死に際して悲観的過ぎず、ちょっと茶目っ気を感じる句ですね。

南畝の歌碑


大田南畝の歌を記した歌碑が上野公園の一角にひっそりと建っています。

”一めんの花は碁盤の上野山 黒門前にかかるしら雲”

満開の桜を碁盤に、黒門と雲を碁石に見立てて詠んだ一首です。

石碑が設置されているのは、かつて寛永寺の黒門があった場所で、刻まれている文字は南畝の直筆だそう。

あまり目立たない場所にあるので、注意して見に行きたいですね。

江戸時代の風景を想いながら読みたい一首です。


まとめ


大田南畝や狂歌について知れば知るほど、やはり面白いことをするには知識があるって大事だなあと思わされました。

知っていることの数だけ世界は広がっていくのではないでしょうか。

ぜひ台東区の様々な名所を訪れる際には下調べを入念に。

きっとその知識がもっと観光を楽しくしてくれますよ。



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ライター紹介

とくらじゅん

イラストレーター・ライター

1991年生まれ。下町暮らしのフリーライター・イラストレーター。 妖怪イラスト、育児漫画、ADHDエッセイなどを書いています。
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