足利尊氏や徳川家康も信仰した摩利支天って何?日本三大摩利支天の1つ徳大寺が上野アメ横に!

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フーテミッターフ!

皆さんどうもこんにちは、メッシンタです!

上野アメ横に「徳大寺」というお寺があることを皆さんはご存知でしょうか?

観光地としても、商店街としても大勢の人で賑わうアメ横にお寺があるなんて驚きですよね。

今回はその徳大寺についてご紹介したいと思います。

それでは本編へ!




徳大寺

具体的な創建年は不明ですが、徳大寺は江戸時代初期の寛永年間(1624~1645年)に慈光院日遣上人(じこういんにっけんしょうにん)が創建したとされています。

徳大寺は日蓮宗の宗派であり、お寺の正式名は日蓮宗妙宜山徳大寺となっています。

摩利支天を祀っており、下谷広小路(現在の上野広小路)に位置していたことから、下谷摩利支天と呼ばれ、親しまれてきたそうです。

祀られている摩利支天像は、江戸時代中期に京都で感得されたもので、1708年に徳大寺に安置されました。

開運大摩利支尊天像
参照:徳大寺公式HP

またこの摩利支天像は、10人の話を同時に聞くことが出来たというエピソードや十七条憲法で有名な聖徳太子が彫像したとされています。

小野妹子の遣隋使とセットで覚えている方もいそうですね!

そして徳大寺は日本三大摩利支天の1つに数えられています。

上野アメ横の徳大寺の他は、石川県金沢市の宝泉寺、京都府京都市の建仁寺にある禅居庵の摩利支尊天堂が日本三大摩利支天に当たります。

日本三大と言われると、言葉の響きから何だかパワーがあるように感じますよね!

実際に、明治時代になると徳大寺は、毎月亥の日の御縁日にたくさんの露店が立ち並び、大変賑やかだったそうです。

また猪が摩利支天の眷属であることから、毎月12日ごとにやってくる亥の日が、徳大寺の縁日となったそうです。

先程の写真に写っている摩利支天が乗っているのが猪になります。

その後関東大震災や戦争によって類焼に遭うものの、摩利支天像は被害を免れたそうです。

こういった災厄を免れてきた経緯から、厄除けのために訪れる人もいるんだとか。

神頼みをするのは基本的にゲン担ぎをする時が多いですから、厄除けのために訪れるのも納得な気がします。

何だか厄を払ってくれそうですもんね!

摩利支天とは

ところで皆さん、徳大寺で祀られている「摩利支天」って何だかご存知ですか?

お寺で祀っているということは、仏教の神様だという想像はつくかもしれませんが、あまり耳にしたことがありませんよね。

ポピュラーな仏教の神様ですと、日本では七福神が一番分かりやすいかもしれません。

エビスビールにも描かれている恵比寿をはじめに、大黒天や弁才天、毘沙門天などが挙げられます。

あとは明王像で知られる不動明王なんかも有名どころの仏教の神様ですよね。

この他にもたくさんの仏教の神様が存在するのですが、そのうちの一柱に当たるのが徳大寺で祀られている「摩利支天」となるのです。

摩利支天は陽炎(かげろう)や威光を神格化した女神と言われています。

また陽炎という目に見えないものを神格化した神様であることから、姿形を現すことはないと言われ、摩利支天を信仰する者は隠形を果たし、害から逃れることが出来るそうです。

日本では中世の頃に、摩利支天の権能から軍神として受容されました。

軍神と言えば上杉謙信の影響から毘沙門天が想像しやすいですが、実は武士らの守護神として摩利支天も信仰されてきたのです。

古くは南北朝時代にまで遡り、こちらも軍神と知られる楠木正成や、室町幕府初代将軍の足利尊氏、戦国時代には中国地方の覇者こと毛利元就や江戸幕府初代将軍の徳川家康といった有名武将らも、摩利支天の尊像や旗印とともに出陣したと云われています。

皆さんが一度は聞いたことがあるような武将たちですらこのように記録が残っているのですから、実際はもっと多くの武将たちが信仰していたことが想像出来ますよね。

武士は命懸けの戦いを行っている者たちですので、ゲン担ぎをすることが重要視されていました。

こういった時代背景もあって摩利支天は、武士の守護神として日本に定着したそうです。

江戸時代になると、七福神に数えられる大黒天、弁才天とともに三天と称されました。

蓄財と福徳の神様として、特に商人らの間で信仰されたそうです。

時代が変化したことで武士の守護神という側面を持ちつつも、江戸の町民にも馴染みのある神様となったわけですね。

これらのことから徳大寺は江戸にある摩利支天を祀っているお寺として、参詣する人で賑わっています。




まとめ

ここまで見て下さってありがとうございました。

本記事について簡単にまとめさせていただくと、

・江戸時代初期の寛永年間(1624~1645年)に、慈光院日遣上人によって徳大寺は創建された

・徳大寺は日本三大摩利支天の1つに数えられ、境内に祀られている摩利支天像は聖徳太子によって彫像されたと云われている

・摩利支天は仏教の神様の一柱で、日本では武士の守護神として、足利尊氏や徳川家康など多くの武将に信仰されてきた

・江戸時代になると商人らを中心に蓄財と福徳の神様として信仰され、江戸の町民にも馴染みのある神様となった

・時代の変化とともに江戸にある上野の徳大寺も摩利支天を祀っているお寺としてたくさんの参詣者が訪れ、毎月亥の日の御縁日には露店が立ち並び、大変賑わった

といったところでしょうか。

今回の徳大寺の記事は、時代の移ろいが感じやすい内容だったような気がします。

摩利支天が日本で受容された中世の頃に始まり、武士の守護神としての存在となって、やがて江戸の町民にも馴染みのある神様と変化していきました。

上野アメ横という、観光地としても商店街としても賑やかな場所にある徳大寺、是非訪れてみてはいかがでしょうか。

それではここまでホントにありがとうございました。

ジャネバーイ!

日蓮宗妙宜山徳大寺
住所:東京都台東区上野4-6-2
電話番号:03-3831-7926
開門時間:6:30~18:30


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ライター紹介

メッシンタ

めぐり部/フリーライター

年齢/20歳。学歴/現役大学生。趣味/サッカーすることとサッカー観戦。性格/素直。 夢/死ぬまでにイングランドのリバプールに行ってホームスタジアム・アンフィールドで生観戦すること。 後はお金持ちの妻子持ちになること。
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