682 view

学ぶ

【日本三大怨霊】なぜ学問の神様が祟るのか?上野で菅原道真を偲ぶ

\ この記事をシェア /

こんにちは、とくらです。

夏の風物詩と言えば、やはり怪談話ですよね。

怖い話を聞いて気持ちから涼しくなりたいものです。

ところで、怖い目にあった時みなさんは「くわばらくわばら」と言ったりしませんか?

この言葉はもともと雷除けのおまじないとして生まれたものですが、現在では雷以外の災難や怖いこと全てを避けるおまじないとして使われています。

めったに当たることのない雷を避けるためのおまじないとはずいぶん限定的な気もしますが、この「くわばらくわばら」とは一体どんな起源の言葉なのでしょうか。

今回は、雷除けのおまじない「くわばらくわばら」と日本三大怨霊菅原道真の関係、五條天神社についてご紹介します。




菅原道真

菅原道真公は平安時代の貴族であり、現在では学問の神様として知られています。

天神様と呼ばれることもありますね。

学問の神様でありながら怨霊として恐れられているのは、厄神としての側面と良い神としての側面を持つ神様という感があり、その知名度の高さがうかがえます。

私も大学受験の折、ご利益にあやかろうと天神様にお参りしましたが、道真が学問の神様として祀られるようになったのは、その神がかった頭の良さゆえのようです。

幼少期から文才をいかんなく発揮し、詩歌に優れ、登用試験に合格後はとんとん拍子で位を上げていきます。

10年程で「文章博士」に任じられ、学生に文学や史学を教える、試験を行う、位が高い人の代筆を行うなどの仕事をしていたようです。

父親が亡くなると、私塾を開くなど、朝廷での中心的な文人となっていきました。

まさにエリートという感じですね。

この後、一時讃岐国(現在の香川県)に左遷されていますが、任地から戻ってからは宇多天皇に大変気に入られ、側近として迎えられました。

宇多天皇からの信頼は非常に篤かったようで、なにか相談があると道真にのみ話したりしていたそうです。

やはり帰京後もどんどん昇進していき、遂には公卿にまで上り詰めることになりました。

ある時道真は遣唐大使という役職に任じられますが、情勢をかんがみて遣唐使を廃止するようにと進言します。

894年の白紙に戻そう遣唐使、という年号の語呂合わせはとても有名です。

宇多天皇が退位し上皇となると、醍醐天皇の治世で道真は右大臣になります。

右大臣は朝廷の最高機関の役職であり、けっして家格の高くなかった道真は異例の抜擢であり、これを面白くないと考えたのが、左大臣を務めていた藤原時平でした。

道真は、当時大きな力を持っていた藤原氏と敵対することになってしまったのです。

昇進すればするほど周りからの中傷も多くなり、本人は何度も辞任したいと訴えたそうですが、結局かなうことはありませんでした。

藤原時平は、道真を陥れるため「宇多上皇を欺いた」「醍醐天皇を廃位させようとしている」などの罪をでっち上げて醍醐天皇をそそのかし、道真を大宰府に左遷してしまいます。

この時、道真の4人の子どもも流刑になってしまいました。

無実の罪でこんなことになるとは、これまでのエリート街道からは想像もできないことですが、騙し騙されというのが京の役人の世界だったのでしょうか。

道真が在職中「もう辞めたい…」と思うのも無理からぬことですよね。

大宰府への移動は全て自腹、任期中の給与はなく、従者も連れることは許されなかったそうです。

この間道真は大宰府浄妙院で謹慎していましたが、2年後には59歳で亡くなっています。

謹慎中は詩歌を作り、その中で何度も自身の無実が明らかになることを願っていたといました。

なんとも無念だったことでしょう。

日本三大怨霊としての菅原道真

死後数年が経過したころから大宰府左遷に関わった人物に不幸が続きました。

道真を陥れた藤原時平、道真の左遷を考え直してもらおうと参内した宇多上皇を門の前で阻んだ藤原菅根が相次いで亡くなったのです。

時平の甥が亡くなった頃、朝廷では、これは道真の祟りではないかと考えられるようになり、死後道真は一度下げられていた役職を右大臣に戻されました。

道真の死から20年が経った頃、清涼殿落雷事件が発生します。

平安京・内裏の清涼殿という建物に雷が落ち、多くの死傷者が出たという事件です。

この時、藤原清貫という人物は胸に落雷・火が付き即死しています。

藤原清貫は時平に命じられて大宰府での道真の動向を監視する役目を受けており、これも道真の祟りではないかと噂されるようになりました。

また、あまりの惨状にショックを受けた醍醐天皇は3か月後に崩御しています。

清涼殿落雷事件から、道真が雷神を使役している、道真は雷神となったのであるという噂がながれ、道真は火雷神を祀る北野神社に神として祀られるようになりました。

雷神となった道真は、自らの所領であった「桑原」という場所には一度も雷を落とすことが無かったため、雷除けには「くわばらくわばら」と唱えるのだという説があります。

「くわばら」は土地の名前だったんですね。

五條天神社

五條天神社は上野公園の中にあります。

医薬祖神を主神としていますが、天満宮でもあり、菅原道真を祀っている神社です。

非常に長い歴史をもつ神社ですが、道真が合祀されたのは江戸時代に入ってからで、社名に「天神」とあるため、道真の像を作ることになったことが由来だそう。

そんなに簡単な理由で神様って祀られちゃうのね、と驚きましたが、当時は下谷天満宮と呼ばれて親しまれていたそうです。

五條天神社は寛永寺の拡張とともに何度も移転しており、最終的に現在の場所に移ったのは昭和に入ってからのこと。

お寺や神社について調べていると、一つ所にとどまって現在まで残っていることの方が珍しい気がしてきますね。

現在では「鷽替えの神事」が毎年1月25日に行われており、これは菅原道真に由来する厄除けの行事です。

旧年中の鷽を奉納して罪を滅ぼすというもので、鷽(うそ)は嘘(うそ)とかかっています。

前年にあった災厄・凶事などを嘘として今年は良い年になりますようにと祈念して行われるのです。

鷽替えの神事は道真を祀る天満宮で行われる特殊な神事で、道真が大宰府で蜂に襲われた時に、ウソの大群が飛んできて助かった、という伝承が由来となっているようでした。

住所:東京都台東区上野公園4-17

アクセス:各線【上野駅】下車8分




まとめ

恨みを抱いて亡くなった、と分かっていたから道真は祟り神として恐れられたんですね…

なんとも悲しいお話でした。

嘘で陥れられた道真を鷽が助けたというのも何だか感じ入るところがあります。

また、祟りを起こしていた道真が長い時間をかけて「学問の神」として信仰されるようになったのは、生前の無念を考えると少しホッとする事実のような気がしますね。

資格試験や学校受験など、合格祈願にはぜひ五條天神社で道真公にお参りしてみてはいかがでしょうか?

\ この記事をシェア /

ライター紹介

とくらじゅん

イラストレーター・ライター

1991年生まれ。下町暮らしのフリーライター・イラストレーター。 妖怪イラスト、育児漫画、ADHDエッセイなどを書いています。
とくらじゅんの記事を見る

  • facebookTwitter
  • このライターの記事

    とくらじゅんの記事を見る

  • facebookTwitter
  • ランキング

    タグ一覧

    • カリスマめぐり