【台東区に残る風景】下谷に生まれた作家幸田露伴、その半生とは?
こんにちは、とくらです。
台東区には、今も昔も多くの文化人が居住しています。 落語家や演劇作家、芸人や画家、小説家など、幅広い文化人の住まいとなってきました。
また、多くの著名人が生まれた土地でもあります。
さて、台東区にゆかりのある多くの文化人の中でも、今回は台東区上野4丁目(当時:下谷)で生まれた幸田露伴についてご紹介します。
幸田露伴
幸田露伴は現在の東京都台東区上野で生まれた小説家です。
当時の地名は江戸の下谷でした。
尾崎紅葉と共に、紅露時代を築いた文豪として知られています。
露伴の本名は成行(しげゆき)といいます。
幼いころは病弱で、何度も生死のはざまをさ迷ったほどでした。
生まれた翌年、上野戦争が勃発し、家族で浅草諏訪町に転居します。
病弱な幼いわが子を抱えて戦火から逃れるのは大変なことだっただろうと、ご両親の苦労を考えてしまいますね…
12歳のころ、東京府第一中学に入学し、尾崎紅葉と同級生でした。
しかし、家庭の事情で退学し、14歳で現在の青山学院大学(東京英学校)に入学。
なんと、14歳といっても数え年です。
幼少から既に才能があふれていたんでしょうね…
しかし、この東京英学校も途中で退学してしまいます。
その後は図書館に足しげく通うようになり、作家・淡島寒月を知ります。
この頃、兄の影響で俳諧に親しんだり、漢学、漢詩を学ぶようになりました。
20代前半になると、『風流佛』や『五重塔』などを発表し、作家としての地位を確立。
すごいスピード感でデビューしてキャリアを築き上げています。
『風流佛』の発表は22歳の時ですから、私などは大学を出てフラフラしていたころです。
比べるべくもありませんが、思わず当時の自分をひっぱたいてやりたくなりますね。
ここから怒涛の紅露時代がやってくるわけです。
29歳の時によき理解者であった山室幾美と結婚しますが、幾美は1910年に亡くなってしまいます。
二人の間には歌、文、成豊という3人の子がありました。
歌・成豊も若くして亡くなっていますが、文はその後随筆で注目を集め作家となりました。
また、文の娘の青木玉も随筆家となり、さらにその娘の青木奈緒もエッセイストとして活躍しています。
文才も遺伝するものなのでしょうか。
親子二代で作家をしている人は多い印象がありますが、曾孫の代まで作家とは驚きです。
娘の幸田文には父との思い出を書いた作品も多いですが、その中にこんなエピソードがあります。
ある日、露伴は文に掃除の稽古をつけることにしたそうです。
「稽古」というとずいぶん大げさなように聞こえますが、納得の厳しさ。
まず、壊れたほうきを直すところから始めるという徹底ぶり。
また、少しでも汚れた道具で掃除をしては意味がないとたいそう怒られたそうで、意地悪な親父だと書いています。
また、自分でやって見せると、達人の腕前。
これには文も感服し、ありがとうございましたと頭を下げたそうです。
文人には珍しい、家事もこなす人だったようですね。
掃除一つへのこだわりも、常に本気で向かい合う作家としての姿勢を感じます。
露伴には、未来学者としての一面もありました。
未来学とは、歴史を踏まえて未来がどうなっていくのかを推論し調査するという学問です。
なんと1911年発表の『滑稽御手製未来記』の中で動く歩道や、モノレール、電気自動車等の存在を記しています。
古典文学を愛した露伴が未来を思うというのは、まさに温故知新という感じですね。
日本の近代文学に大きな影響を与え、露伴は79歳でこの世を去ります。
葬儀はひっそりと行われ、現在は東京都大田区池上にある池上本門寺で眠っています。
五重塔
五重塔は、幸田露伴による台東区を舞台とした小説です。
舞台化や映像化もされており、露伴の代表作といえる作品です。
主人公はのろまなことから、「のっそり」とあだ名される十兵衛という大工。
彼には五重塔を自分の手で建てるという夢がありました。
寺の和尚に頼み込み、最後には立派な塔を建立するというお話です。
この五重塔のモデルは東京都台東区の谷中霊園内にあった五重塔ですが、現在この塔は焼失しています。
谷中五重塔放火心中事件という火災により、燃えてしまったのです。
幸田露伴の居宅跡
五重塔を書いたとき、露伴は谷中に住んでいました。
2年間この家に住み、五重塔を眺めながら執筆していたそうです。
この住居は既に残っていませんが、門は現在も見ることができますよ。
幸田露伴の居宅跡
住所:台東区谷中 7-18-25
アクセス:日暮里駅 徒歩4分
まとめ
既に露伴の住居や、五重塔を見ることはできませんが、その面影は様々なところに残されています。
その半生を知ることでより深く文章を楽しむことができるかもしれませんね。
また、五重塔は既に失われた風景ですが、どんな景色を見ながら名作を生んだのか、住居跡から思いをはせてみてはいかがでしょうか。