9社寺まわってご利益をGET。「浅草名所(などころ)七福神巡り」の歴史探訪レポ⑥待乳山聖天

待乳山聖天
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浅草で運気を上げるパワースポットである「浅草名所七福神」を巡拝しつつ、歴史の面影を探り、それぞれの見どころを紹介していくこの企画。


9カ所あるコースも、巡拝して今回で6カ所め。
5カ所めの記事で紹介したのは、浅草寺の境内にある浅草神社でした。

東京大空襲の際、被害を受けながらも枯れずに生き続ける御神木をはじめ、江戸時代から変わらず時を告げる「時の鐘」などが境内にあり、変わらぬ存在が当時を生き抜く人々にとって、支えとなっていた様子が窺えました。

今回は、そんな浅草寺・浅草神社から徒歩13分ほどで行ける「浅草名所七福神」の一つ「待乳山聖天(まつちやましょうでん)」を紹介していきます。

「待乳山聖天」は隅田川沿いにある隅田公園の近くにあるので、浅草寺・浅草神社の参拝後に回りたいという方は、境内を抜けて隅田川沿いを目指して下さい。

歩き始めて言問橋の交差点に差し掛かると、台東区の歴史を物語る史蹟が残されているのを確認できます。
この石碑は、東京大空襲での戦災犠牲者の追悼碑です。

隅田公園のこの一帯は、昭和二十年の東京大空襲等により亡くなった数多くの方々を仮埋葬した場所だそうで(その後、墨田区の東京都慰霊堂に納骨)、年月が経つにつれ、戦争の悲惨な記憶が薄れないようにと建てられたものです。

追悼碑のある道をまっすぐ進んでしばらくすると、左手に趣深い建築物が見えます。横断歩道を渡ると「待乳山聖天」の入り口に到着。

「待乳山聖天」が祀っているのは、七福神の一人・「毘沙門天」です。

毘沙門天は古代インドの神様でありながら四天王の一仏でもあり、常に仏の道場を守り、説法を良く聞いたということから「多聞天」とも呼ばれている神様。

憤怒の相で右手に宝棒、左手に宝塔、足の下に邪鬼天の邪鬼を踏みつけているという、七福神唯一の武将の姿をしていて、戦勝祈願、金運・財運などのご利益があるということで知られています。

「待乳山聖天」の起源は、推古天皇の頃、突然この土地が小高く盛り上がり、そこへ金龍が舞い降りたという言い伝えによるもの。

この不思議な降起は実は十一面観音菩薩の化身「大聖歓喜天」が出現するというおめでたい先触れだったのですが、それから6年後の夏、天候不順で人々飢えに苦しんでいた時、、大聖歓喜天の姿となってこの山に降臨されて、 苦しむ民を救いました。
それから6年後、天候不順に人々は悩まされていました

永い日照りが続いたことにより、飢えと焦熱の地獄に苦しむ人々が増えた中、大聖歓喜天が出現し、こうした人々を苦しみから救ったという謂れがあるのだそう。
そして、「待乳山聖天」に祀られている毘沙門天は、大聖歓喜天の守り神として古くから奉安されており、浴油祈祷という厳しい修行にふさわしい凛とした木彫像なのが特徴です。

さて、一つ目の石段を上っていきます。

二つめの石段を上ると、両脇に大根と巾着が彫られているのに気づきます。

この大根と巾着のシンボルは、「待乳山聖天」の至るところに描かれているのです。
なぜか?その理由は後述しましょう。

上がってすぐ左手には、赤い前掛けを仲良くかけているたくさんのお地蔵様。
「歓喜地蔵尊」といい、子育て地蔵といい長くこの地で篤く信仰されているとのこと。



右手には、2m以上の高さがありそうな「出世観音像」。
学問や芸事にご利益があるとして、励む人たちから信仰を集めています。



こちらは「浴油祈祷」といい、聖天様を祀る「待乳山聖天」独特の供養法。

浴油とは、密教の中でも最も深秘の法で、この供養法により聖天様の力がより一層高められて、不可能と思われるような願い事でも必ず成就に導くのだそう。

聖天様は、もとより強大なお力を備えている神様で、それだけに欲深く、差別心の強い性格を持っていましたが、気持ちを改めるようになりました。

その後でも、煩悩を体の垢と同じように絶えず洗い清めることが必要であるとのことから、この供養法が伝統となっています。



寺務所の前には築地塀(ついじへい)といって、江戸時代の頃の塀が現存しています。
歌川広重の錦絵にも描かれている、貴重な文化財です。

こちらは寺務所ですが、浴油祈祷の受付ができます。
そして大根も販売されています。
この大根は果たして何に使うのでしょう…?



こちらは本堂と常香炉。

この常香炉もよく見ると… 入り口の石段に彫られた巾着の形をしていますね。

写真では極力人が映らないようにしていましたが、平日のお昼過ぎなのに、次から次へと参拝客が絶えません。

地元の人々のようで、参拝も手慣れた様子。
皆さん、寺務所で大根を買っていって、本堂に入っていきます。

本堂入り口の上部にも、目を凝らすと二股の白い大根と巾着のシンボルが飾られているのが確認できます。

靴を脱いでお堂内に入ると御朱印が戴けます。
参拝客により、たくさんの大根がお供えされていました。

写真撮影は禁止ですが、こちらも浅草寺と同じく天井絵が素晴らしいので、ぜひ見て頂きたいです。

天井中央には墨画の龍、左右に極彩色の天女、両壁襖に日月の画が迫力いっぱいに描かれています。

中央の龍は、日光東照宮の文化財として有名な「鳴き竜」を復元した堅山南風氏が描いています。

こちらが「待乳山聖天」で戴ける毘沙門天の御朱印です。



お参りが済んだら左から境内をぐるっと見ていきましょう。

こちらにも大根モチーフを発見。

さて、大根と巾着のシンボルがここまでたくさん出てきました。
「待乳山聖天」にはなぜこんなに大根と巾着が出てくるのでしょう?

それは、先ほど紹介した浴油祈祷に関係しています。

聖天様は、もとより強大なお力を備えている神様で、それだけに欲深く、差別心の強い性格を持っていましたが、十一面観世音菩薩との出会いで気持ちを改めるようになりました。

大根は、深い迷いの心、瞋(いかり)の毒を表していており、その大根をお供えすることによって、聖人さまが心の毒を清めてくださるのだそう。

心の毒が静まると心身が健康になり、良縁を成就出来るのです。

また大根は身体を丈夫にし、良縁を成就し、夫婦仲良く末永くいられることを意味しているので、二股の大根が絡み合っているお姿こそが、夫婦和合の証だそうです。巾着は砂金袋のことで、商売繁盛を象徴しています。

さて、こちらも江戸の名残を感じられる名所「天狗坂」。

江戸時代には隅田川を一望できる景勝地として、歌川広重などの浮世絵に描かれていました。  昔は木々が鬱蒼と茂り、天狗が出そうな森だったため,この坂の名前になったという由来があるそう。

出典:「待乳山便り」

今ではスカイツリーが聳え立っています。

現代の新名所として描いている人はいるのでしょうか。
下には立派な庭園と、車での参拝客用の駐車場に繋がっています。
ちょっとした安らぎのスポット。

また、なんと「待乳山聖天」には、さくらレールという天狗坂から下の駐車場までを下るスロープカーがあります。

乗車時間は7時から16時30分まで。
無料で乗れますので興味のある方は乗ってみて下さいね。


最後、「待乳山聖天」を参拝し終え石段を下ると、「鬼平犯科帳」で有名な小説家・池波正太郎が生まれた町として、生誕地碑が建てられています。

大正12年年に旧東京市浅草区聖天町61番地で誕生した池波正太郎は、エッセイに「大川(隅田川)の水と待乳山聖天宮は、私の心のふるさとのようなものだ」と記し、待乳山聖天周辺は作品の舞台としてもたびたび登場しています。
江戸の名残の強いこの場所で育ったからこそ、作品に反映しているのだと感じます。

 さて、この後は、「浅草名所七福神」巡拝コースの一つで、この「待乳山聖天」から歩いて数分と近い場所にある「今戸神社」に向かいたいと思います。

龍が守る山として民衆から深く信仰を集めてきた「待乳山聖天」。
その歴史は長く、時代を経ても変わらぬ信仰と、名所として愛された証があちらこちらに残されていました。

現代ではスカイツリーが映える景勝地としてもぜひ一見する価値はあり。
剛健な毘沙門天、聖天様という神様が祀られている反面、物珍しいシンボルがちょっと面白い名所です。

冒頭の入り口に戻り、この道をまっすぐ通って今戸神社へ向かいます。

今戸神社はあの超有名な幕末の剣士にゆかりがあり、若い女性が多く訪れる可愛い神社です。

そのご利益は必見。ぜひ次の記事も読んでみて下さいね。


待乳山聖天
住所:東京都台東区浅草7-4-1
時間:御朱印は原則9:00~16:00
アクセス:東京メトロ銀座線・地下鉄浅草線など 浅草駅より徒歩10分 
公式HP



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ライター紹介

くまりら

インタビュアー、ライター

93年生。縁あって、前職では有名少年漫画作品の編集をいくつか担当。 歴史ロマンのあるもの、美味しい食べ物、韓国アイドル、エンタメが好き。
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