9社寺まわってご利益をGET。「浅草名所(などころ)七福神巡り」の歴史探訪レポ⑤浅草神社

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浅草で運気を上げるパワースポットである「浅草名所七福神」を巡拝しつつ、歴史の面影を探り、それぞれの見どころを紹介していくこの企画。

4カ所めの記事で紹介したのは、実は「浅草名所七福神」の一つである定番観光スポット「浅草寺」。

「大黒天」という七福神の神様のご利益も戴けて、境内にある、普段は気づかないような面白いところも紹介してきました。

さて、5カ所めとなる今回は、そんな「浅草寺」の境内にある「浅草神社」を見ていきたいと思います。

「浅草寺」の境内にある「浅草神社」ですが、実は参拝したことがない方も多いのでは?

となると、気になるのが「浅草寺」と「浅草神社」の違い。

この二つの寺院は異なる七福神が祀られているので、参拝すればダブルで運気も上がりますよ。

時間があればぜひ二カ所とも参拝してみたいものです。



「浅草神社」は同じ境内にあるので、行き方は「浅草寺」と変わりません。「浅草寺」本堂を参拝し終えたところからスタートしましょう。
本堂を参拝し終えると、左手(雷門からの進行方向では右手)に公衆トイレとベンチがある休憩スペースが広がっており、その奥に「浅草神社」があります。

この写真の右から順番に「旧五重塔跡」、浅草寺の神木「いちょうの木」、奥に「浅草神社」の鳥居が映っています。

現在の浅草寺の五重塔は実は新しいもので、現在とは反対側に位置していました。

元々、942年に平公雅(たいらのきんまさ)により創建され、炎上と再建を繰り返した五重塔は、徳川家光によって旧国宝の五重塔(木造・高さ33メートル)として再建され、元にあった場所として現在の碑が建てられています。

「浅草寺」の神木であるいちょうは樹齢約800年ともいわれ、かつては文科省から天然記念物として認定されたこともありました。
が、第二次世界大戦の東京大空襲の影響で、このいちょうの木にも焼夷弾が直撃。

上部は吹っ飛び、焼け焦げた跡が今でも痛々しく残っています。

しかし、戦災を乗り越え、夏頃は青々と色づき、秋頃は黄色く鮮やかな葉をつけ、「浅草寺」を四季折々に彩ってくれています。

「浅草神社」の鳥居はこちらです。

「浅草神社」は、明治維新の神仏分離によって浅草寺と別れ、明治元年に三社明神社、さらに明治6年に浅草神社と改められました。
浅草寺の創設にかかわった3人の人物が祭神となっているため、「三社様」の愛称で親しまれています。

628年に不漁で困っていた漁師が、網にかかった聖観世音菩薩を祀ったことが浅草寺・浅草神社の起源です。

その後、浅草寺の創建に関わった土師真中知をはじめとする3人の人物を祀るため、土師真中知の子孫によって建てられたのが浅草神社です。

祀られているのは、七福神の中で唯一の日本出身の神様「恵比須」です。
(七福神は、中国やインドの神も混ざっています)。

ビールでおなじみの、烏帽子に狩衣、釣り竿と魚籠を持ち、立派な鯛を抱え、親しみ深い姿で描かれている神様で、大漁豊作、商売繫盛の神として、庶民の信仰を集めました。

訪れたのがお正月の終わりだったので、しめ縄などの正月飾りが施されていますね。

社殿に入ると目を見張るのは、建物に描かれたこの鮮やかな獣たち。

雷獣といって、麒麟や鳳凰、飛龍といった架空の動物たちです。
どれも平和の象徴であったり、人々の幸福を願う存在として描かれているようです。

さて、「浅草神社」の御朱印ですが、仮設の御朱印所もありましたが、時間で締め切られたので社務所で御朱印を戴けました。

訪れた頃は感染症の流行により、持参した御朱印帳への浄書ではなく、別途紙で渡して頂けるスタイルとなっていました。

「恵比須」の字にかかっているスタンプは、海にゆかりのある神として知られる「恵比須」様が獲った魚を入れる網かごでしょうか。

また、「浅草神社」で販売している御朱印帳もあります。令和特別御朱印帳は、おめでたい色合いで可愛いですね。

引用:「浅草神社」

さて、参拝を終え、御朱印も戴いたので、境内の方を見ていきましょう。

社殿左にある神輿庫には、「浅草神社」の行事である三社祭で担がれる宮神輿「一之宮」「二之宮」「三之宮」が収められています。

普段は閉められているようですが、お正月、春先の土日祝日、5月の祭礼期間には扉が開けられ、宮神輿を拝観できるということです。

めったにお目にかかれないということなので、貴重な時期に拝観できてよかったです。

境内には、浅草にゆかりのある二人の小説家の句碑が残っています。



「久保田万太郎句碑」
浅草出身の小説家、劇作家、俳人。

『竹馬や いろはにほへと ちりぢりに』



「川口松太郎の句碑」

久保田万太郎に師事し、数多くの時代小説や恋愛小説を書いた。
『生きるということむずかしき夜寒かな』



こちらは、ちょっと珍しい「夫婦狛犬」。

狛犬は外部からの厄災を退ける役割があり、一般的には一対が参道を挟み向き合って設置されるもの。

この狛犬は江戸初期に作られ、形状が珍しく大変貴重なものであり、その寄り添って佇む様相から「良縁」「夫婦和合」「恋愛成就」などのご利益があるとされています。


こちらにあるのは、かつて民間で信仰されていた「お百度参り」の往復の標識として立てられている「お百度石」。

お百度参りは、どうしてもかなえたい願いを神様に届けるための儀式の一種で、神様に願いを聞いてもらうために神社で100回お参りをするものでした。


お参り中は言葉を発しない、ここぞというお願い事があるときに行う、誰かの不幸を願うようなネガティブな願い事はしない、などの決まりがあったようで、何度もお参りの回数を重ねることで願いが成就するといわれています。

医療なども今より発達していなかった時代、神頼みという言葉があるように、自分ではどうしようもできない状況に置かれたとき、天の神様への信仰心は強かったでしょう。

幸になるか不幸になるかは神仏をどれだけ信仰していたか。病気の治癒や日々の安全を祈るために、昔の方々はそうしていたのだろうと思います。

まだまだ他にも浅草にゆかりのある著名人の碑などがありますが、興味のある方は浅草神社公式HPを見たり、実際に訪れてじっくり見てみて下さいね。

さて、境内を出て、また「浅草寺」の方を見ていきたいと思います。

「宝蔵門」の手前の方にある二体の仏像は「二尊仏」といい、左で合掌している「勢至菩薩坐像」と、右で手をあげ、何かを持っている「観音菩薩坐像」が横並びになっています。

二体ともに高さは2.36mで、蓮台を含むと4.5mという大きさ。

屋内の仏殿などに安置せず、野外に置かれている仏像で、雨の日も雪の日もその体を濡らしてしまうことから「濡れ仏」の名でも知られています。

人の多い仲見世から外れ、「二尊仏」の奥の路地へと向かうと、階段を上るような形で小高い丘の上に建てられている「弁天山」があります。

小高い山に建てられ、弁財天を祀る弁天堂が建つことから弁天山と呼ばれています。
弁財天は池中の小島に祀られることが多く、弁天山もかつては池の中にありました。

そして、弁天堂に向かって右手にあるのが、江戸の名鐘として知られる「時の鐘」。
時の鐘は、寛永寺や浅草寺など九カ所にあり、江戸の市中に時を告げていた鐘のひとつです。
戦時中、多くの寺の鐘が供出を余儀なくされたなかで、弁天山の「時の鐘」は特に由緒がある鐘ということで残されました。

現在も毎朝6時に鳴り、大晦日には新年を告げる「除夜の鐘」としての役目を担っています。


また、江戸時代、深川に住んでいた松尾芭蕉がこの「時の鐘」を詠んだとして、句碑が残されています。

『花の雲 鐘は上野か 浅草か』。

この鐘の音は上野寛永寺の「時の鐘」か、浅草寺の「時の鐘」かを思案して生まれたそう。
今の時代のように市民が時計を確認できるような術がなかった時、江戸の人はこの鐘の音で時刻を把握していたのですね。



その隣にあるのは、使い終わった扇を供養する塚である「扇塚」。

日本舞踊では扇子をよく使うということで、ここでは、古くなり使えなくなった扇子に感謝し、供養します。
「浅草神社」境内や、上野不忍池などにもありますが、日本の伝統が盛んである証だと感じられます。


さて、ここまで「浅草神社」の祀られている神様のご利益と、境内からその周辺の旧跡を辿ってみました。

元々一つだった「浅草寺」と「浅草神社」は、当時の明治維新により分かれてしまいました。

時間があればぜひ二カ所とも参拝してみて欲しいです。

前回訪れた「浅草寺」、「浅草神社」ともに、戦時中はこの浅草一帯も火の海になりました。

被害を受けながらも枯れずに生き続ける神木、江戸時代から変わらず時を告げる「時の鐘」など、変わってしまった風景の中で変わらずあることが、当時生き抜いてきた地元の人々にとってどれだけ心の支えになったでしょう。

次回は、「浅草寺」・「浅草神社」から徒歩13分ほどで行ける巡拝スポット・「待乳山聖天」を紹介していきます。

これまで紹介してきました「浅草名所七福神」も、6つめとなりました。残り3カ所もありますのでどうぞ読んでみて下さいね。

浅草神社
住所:東京都台東区浅草2-3-1
時間:御朱印は9:00~16:30
アクセス:東京メトロ銀座線・地下鉄浅草線など 浅草駅より徒歩5分 
公式HP



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ライター紹介

くまりら

インタビュアー、ライター

93年生。縁あって、前職では有名少年漫画作品の編集をいくつか担当。 歴史ロマンのあるもの、美味しい食べ物、韓国アイドル、エンタメが好き。
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