【鳥山石燕】オリジナルの妖怪が未来で有名になっちゃった件。光明寺に眠る天才画家

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こんにちは、とくらです。

妖怪好きの皆さん、もちろん今年のお盆は石燕先生のお墓にお参りしましたよね?

鳥山石燕とお盆、きっと百鬼夜行の様相を呈していたことでしょう。

それでは、今回は元浅草の光明寺に眠る絵師「鳥山石燕」についてご紹介します。

鳥山石燕

鳥山石燕は、妖怪画家として有名な江戸時代中期に活躍した画家です。

現在は台東区元浅草の光明寺に眠っています。

鳥山石燕は、江戸時代中期の浮世絵師で、妖怪画の巨匠として知られています。 彼の本名は佐野豊房で、出生地は不明とされています。 妖怪マニアならば誰しも一度は彼の絵を目にしたことがあるのではないでしょうか?

彼は江戸時代の中期に活躍し、その作品の多くは何と言っても妖怪画。 美人画や役者絵も描いていますが、妖怪画が彼の代表的な作品の中心です。

特に「画図百鬼夜行」や「今昔画図続百鬼」といった版本は石燕の代表作として現在も広く知られています。

少しおどろおどろしい中にもユーモラスな妖怪の名づけなど、石燕特有の妖怪画は眺めているだけでも何だかワクワクしてしまいます。

実は、鳥山石燕の生涯には謎が多く、出生地や出生年も不明とされており、狩野派に入門して画法を学び、幕府や諸大名に仕える御用絵師として活動したとされていますが、その詳細は分かっていません。 これほど有名な人物にもかかわらず、細かい出自が分からないというのは意外ですよね。

石燕の浮世絵にはグラデーション技法が使用されており、拭きぼかしの技法は石燕が最初に取り入れたものとされています。 この技法は後の浮世絵師たちにも影響を与え、後身の画家の作風に大きな変化をもたらしました。

石燕の門下生には、喜多川歌麿、恋川春町、栄松斎長喜、歌川豊春など有名な浮世絵師が多く含まれており、彼の画業の評判の高さが窺えます。

絵師として活躍する一方で、俳人としても広く活躍し、その集まりの句集には絵を寄稿するなど非常に多才な人物でした。

石燕の代表作である「画図百鬼夜行」は1776年に発行され、その後も「今昔画図続百鬼」や「今昔百鬼拾遺」「百器徒然袋」などが続々と出版されました。
意外にもこれらの代表的な妖怪画集がヒットしたのは石燕の晩年になってから。
てっきり若いころから妖怪でブイブイ言わしていたのかと思っていましたが、どうやらそうでもないようです。

石燕は後世の浮世絵師だけでなく、日本の妖怪文化やイメージ形成に大きな影響を与えました。 「ゲゲゲの鬼太郎」の作者である「水木しげる」などは石燕の影響をかなり強く受けていますよね。

水木しげるは、現代の人々に妖怪の姿形を広めた第一人者といっても過言ではないと思いますが、水木作品には、石燕の創作した妖怪たちも多く登場しています。

石燕が創作したとされる妖怪たち

鳥山石燕の描いた妖怪は、多くは江戸時代に既に伝えられていた妖怪をイメージしたものですが、石燕自身が創作したとされているものも多く含まれています。

ここでは現在も有名な妖怪や、石燕がオリジナルで描いたとされている妖怪を一部ご紹介します。

五徳猫

鳥山石燕『百器徒然袋』より「五徳猫」

「五徳猫(ごとくねこ)」は、「徒然草」に出てくる七徳のうちの二つを忘れてしまった「五徳の冠者」と渾名されている人物と鍋ややかんをのせる「五徳」の語呂合わせで石燕が創作したと言われています。

現在では囲炉裏のそばで勝手に火を起こす妖怪とされているようです。

勝手に妖怪を創ってその後に伝えられていき、後世に更に解釈を加えられているこの感じ、グッときますよね。

垢嘗

鳥山石燕『画図百鬼夜行』より「垢嘗」

「垢嘗(あかなめ)」風呂桶や風呂にたまった垢を嘗めて食べるとされている妖怪です。 実は、石燕が垢嘗を描く以前にも「垢ねぶり」という妖怪が登場しており、こちらも風呂場に出現するようですが、こちらは垢や塵などの汚れから生まれる妖怪ということで、ちょっと様子が違いますね。

垢嘗は読んで字のごとく、垢を舐める以外には特に何もしません。

以津真天

鳥山石燕『今昔画図続百鬼』より「以津真天」

「以津真天(いつまで)」は漫画『地獄先生ぬ~べ~』にも登場する、少し怖いイメージのある妖怪です。

『太平記』巻12の「広有射怪鳥事」に登場する怪鳥を題材にして創作されたものですが、太平記では「怪鳥」としか記載がなく、鳴き声は「いつまでも、いつまでも」だったそう。

ここから石燕は「以津真天」という名前を与えたのでしょう。 現在では、戦乱や飢餓などで死んだ人の死体を放っておくと以津真天が死体の近くで「いつまで、いつまで」と鳴く妖怪として知られています。

死者の魂が妖怪になったと解釈されることもあり、少し悲しい妖怪です。

猪口暮露(ちょくぼろん)

シンプルに名前の語感が面白すぎますが、「暮露」「お猪口」「虚無僧」をかけて創作された妖怪です。

お猪口を頭にかぶった虚無僧姿の妖怪が箱から現れる姿が描かれています。

暮露暮露団(ぼろぼろとん)

こちらもまったく有名ではありませんが、ネーミングが最高ですよね。

その名の通り、ぼろぼろになった布団が妖怪になったものです。

元になる話も特にないという、語感ありきで創ったのではないかという感じのする個人的に非常にお気に入りの妖怪です。

光明寺

鳥山石燕が眠る光明寺は、稲荷町駅の近く浅草通りから左衛門橋通りに入ったところにある、石畳の参道が非常に趣深いお寺です。

光明寺は浄土宗の寺院で、慶長6年(1601年)に建立されたと伝わっています。 木造阿弥陀如来坐像は有形文化財に登録されており、台東区内に現存する定朝様式(平安時代の仏師・定朝にはじまる和様の仏像彫刻様式)の阿弥陀如来像のひとつとして貴重です。

住所:東京都台東区元浅草4丁目7−10

アクセス:銀座線「稲荷町駅」徒歩約4分

まとめ

数多くの妖怪を創作した鳥山石燕。 それが後世の人々によって解釈が加えられ、どんどん変化していくという妖怪というものの本質を見ることができるような気がします。

涼しくなってきたら石燕の作品を見てから、一度墓所を訪れてみてはいかがでしょうか。

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ライター紹介

とくらじゅん

イラストレーター・ライター

1991年生まれ。下町暮らしのフリーライター・イラストレーター。 妖怪イラスト、育児漫画、ADHDエッセイなどを書いています。
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