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【新選組】結核を患った沖田総司終焉の地は一体どこだったのか?

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こんにちは、とくらです。

突然ですが、新選組の隊士の中で最も剣の腕が立つのは誰だったのでしょうか。

これは歴史好き永遠のテーマです。

斎藤一、永倉新八、沖田総司…

しかし、後世に残される証言には様々なものがあり、結局誰が最強だったのか不明確!

アニメや漫画、小説、ドラマなど創作の中で語られる最強の剣士は沖田総司であることが多いですね。

私個人は槍で最強は原田左之助、剣で最強は沖田総司の派閥です。

さて、沖田総司と言えば、剣豪としても有名ですが、若くして亡くなったというイメージも強いですよね。

肺結核が進行し、療養のため新選組を離れたと言われています。

この沖田総司が最期を迎えたと伝えられる場所が、実は2か所存在しているのです。

幕末というとそれ程昔のことではないような気もしますが、証言が分かれているんですね。

その最期の地と伝えられている場所は、新宿区と台東区にあります。

新宿区では植木屋平五郎宅の離れ、台東区では今戸神社がそれぞれ「終焉の地」と伝えられているのです。

結局どちらが正確なのか?

有力なのは新宿区植木屋平五郎宅説のようですが、今戸神社には「沖田総司終焉の地碑」が建てられています。

しかしなぜ二つの説が現在に伝わっているのでしょうか?

今回は沖田総司とその最期についてご紹介します!


沖田総司


沖田総司は言わずと知れた、幕末期に活躍した新選組の一番隊組長です。

組内では撃剣の師範も務めていました。

陸奥国白河藩藩士の家に生まれ、9歳の頃に天然理心流の道場「試衛館」に入門し、近藤周助の内弟子となります。

試衛館には後に新選組の局長となる近藤勇、副長となる土方歳三も入門していました。

14歳頃には試衛館塾頭となり、出稽古にも出向いていたようです。

沖田は若くして既に頭角を現していたんですね。

その後、浪士組に参加し、上洛しています。

新選組結成後は一番隊組長という役職に就きました。

一番隊組長という役職はどのようなものだったのでしょうか?

実は、新選組の中でも精鋭が集められた隊であったと言われており、その組長ということですから、これは文句なしに剣の腕が立ったことでしょう。

ちなみに、新選組隊士の中でもかなりの長命であった永倉新八は後に「土方や山南、藤堂は子ども扱いであった」と語っています。

子ども扱いということは、かなりの実力差があったということですよね。

藤堂平助も色々な人物の後の証言で相当の使い手であるということが語られています。

沖田はやはり新選組最強と言えそうです。

肺結核

1864年6月5日、有名な池田屋事件が起こります。

これは、京都三条木屋町にある旅籠「池田屋」に潜伏していた尊王攘夷派志士を新選組が襲撃した事件です。

池田屋事変や池田屋騒動という名で呼ばれることもあります。

この日、沖田は近藤、藤堂、永倉らと共に池田屋に踏み込みますが、戦闘中に喀血し、戦線から離脱したと言われています。

確かにドラマや小説でも池田屋で斬り合っている最中に喀血する沖田のシーンは必ずと言っていいほど描かれていますよね。

しかし、どうやら現在ではこの時期に発症していたのでは、病状の進行具合が不自然であると言われており、もっと後になってから結核を発症したのではないかと考えられています。

それから約3年後の1867年、沖田は新選組隊士として第一線を離れることになります。

新選組の活動期間はおおよそ1863年~1869年ですから、その知名度に反して沖田の活動期間は意外と短いような気がしますね。

第一線から退いて以降は近藤の妾宅で療養をしています。

幕末期の剣士の中でもトップクラスの知名度を誇る沖田ですが、あの戊辰戦争の初戦となった1868年の鳥羽・伏見の戦いには参加できませんでした。

大阪で療養していた沖田ですが、鳥羽・伏見の戦い敗戦後、仲間たちと共に江戸に戻ります。

江戸に戻ってからは甲陽鎮撫隊に参加し途中で離脱したとも、療養を続けたとも言われています。

その後、沖田は今戸神社の松本良順宅に居を移しました。

松本良順は沖田の主治医で、新選組隊士の診療にもあたっていた人物です。

ここでの療養中に沖田が亡くなった、という永倉の証言から「今戸神社が沖田終焉の地」説が生まれました。

しかし、沖田は今戸神社の松本宅から千駄ヶ谷の植木屋平五郎宅に療養先を移していたそうで、これは記録も残っているとのこと。

最初は永倉の証言が有力視されていましたが、平成に入ってからこの記録が見つかり、現在では植木屋平五郎宅説が有力です。

1868年、近藤が斬首刑に処された2か月後、沖田は息を引き取ります。

享年は24歳とも25歳とも言われていますが、正確な年齢は分かっていません。

沖田総司終焉の地の碑

沖田総司終焉の地の碑は今戸神社の境内にあります。

主治医である松本が今戸神社に間借りしており、ここでの療養中に亡くなったという説からです。

沖田が亡くなった当時江戸に居なかった永倉の証言にあまり信ぴょう性が無いとも言われていますが、実際に生活していた時期はあったのですから、この場所で闘病していた沖田の生活が確かにあったのだと思わされます。

今戸神社
アクセス:東武線【浅草駅】徒歩11分
住所:東京都台東区今戸1-55-2



まとめ

沖田総司については、様々な作品の中で美少年・美青年として描かれることも多いですが、当時は不治の病とされた肺結核と言う病気のイメージが強いからかもしれません。

また、多くの仲間の死を知らされることなく亡くなっていった沖田の最期はとても切なく、刹那を生きた新選組隊士そのものを表すような人物だと改めて感じました。

台東区にはほかにも幕末に関する史跡が多く残っています。

ぜひそれぞれの人物・場所について知りながら巡ってみたいですね。

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ライター紹介

とくらじゅん

イラストレーター・ライター

1991年生まれ。下町暮らしのフリーライター・イラストレーター。 妖怪イラスト、育児漫画、ADHDエッセイなどを書いています。
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