【駅伝発祥の地】三条大橋から不忍池までを走った最初の駅伝!
こんにちは、とくらです。
最近子どもが何でも「苦い」と言うようになりました。
どれどれ、と食べてみると甘かったり酸っぱかったり辛かったりと、全然違う味なのですが、どうやらあまり好きではないものは「苦い」と表現しているようです。
子どもの頃って、なんとなくイメージだけで言葉を捉えてることが多いですよね。
私は「駅伝」がそうでした。
駅伝は漢字で書いてあるため、日本版のマラソンだとばかり思っていたのです。
確か中学生くらいまで勘違いしていたと思います。
これはひどい。
箱根駅伝が有名な駅伝ですが、そもそも「駅伝」って何なんでしょうか。
駅を伝えるとは…
今回は、上野公園に発祥の地記念碑が建つ「駅伝」についてご紹介します。
駅伝の歴史
駅伝は、正式には「駅伝競走」と呼ばれる競技のことです。
1920年(大正9年)、江戸が東京と改称され、都が京都から移って50周年を記念して開催された「東海道駅伝徒歩競走」が駅伝の始まりとされています。
この大会は京都の三条大橋から上野不忍池までの約508㎞を走るもので、関西チームと関東チームに分かれて競いました。
三条大橋から上野不忍池までは23区間に分かれており、現在の駅伝と同じように次の走者へとたすきを繋いでく形式です。
なんとこのレースは昼夜を問わず走り続けるというルールだったようですが、最初の走者が不忍池にゴールしたのはなんとスタートの翌々日だったとか…
橋の掛けられていない川を越えなくてはならない地点は、渡し船を使ったりと、なんだか少しのどかな感じがします。
現在の駅伝ではフルマラソンと同じ42.195㎞や箱根駅伝の107.5Kmという距離がメジャーですが、最初の駅伝は随分と長距離だったんですね。
今も長い距離を走る駅伝は存在しており、現存の大会で最も長距離である鹿児島県の「県下一周駅伝」は583.7㎞もの距離を走ります。なんと、5日間にわたり開催されるそうですよ。
最初の駅伝「東海道駅伝徒歩競走」、この時の関東チームのアンカーは「日本マラソンの父」として知られる金栗四三でした。
金栗はストックホルム五輪に出場したものの、途中棄権という結果に終わったことで一層走りに磨きをかけ、ランナーを育てることに注力していたのです。
この「東海道駅伝徒歩競走」が大成功を収めたことで、金栗は箱根駅伝の創設のため大学や専門学校に参加を呼びかけました。
1920年の第1回の箱根駅伝(当時は四大校駅伝競走)に参加したのは早稲田大学、慶応大学、明治大学、東京高等師範学校(現在の筑波大学)の4校。
今でも駅伝で有名な学校が多いですね。
この頃の日本は第一次世界大戦の終戦直後。
大変な状況の中でも悲壮にならず、スポーツで世の中を盛り上げていきたいという想いが日本に明るい雰囲気をもたらしたのではないでしょうか。
さて、「駅伝」という言葉ですが「東海道駅伝徒歩競走」で初めて現れた言葉ではないようです。
実は中国の唐代に既に使われており、日本書紀にも登場するほど古い言葉。
当時は「駅伝」とは都と地方の間で馬を走らせ重要なことを伝えるような制度のことだったようです。
等間隔に馬や人を配置した施設を置いて、次々にその施設をリレーすることで情報を伝えるシステムで、この施設のことを「駅」と呼びました。
このシステムから着想を得て、当時の日本体育協会副会長であった武田千代三郎が「駅伝」という競技名を付けたそうです。
確かに中継地点を馬でリレーしていく様は正に現在の駅伝ですよね。
海外の駅伝
日本では大人気の駅伝ですが、海外でもメジャーなスポーツなのでしょうか?
駅伝に海外選手が登場することはありますが、日本以外の国で開催されているのをテレビ中継などで見たことはない気がします。
調べてみたところ、どうやら海外ではあまり人気がないそうで、日本と同じような「駅伝大会」を開催している国は少ない様子。
少ないとはいえ、駅伝競走の大会を開催している国もあるようなので、もしかしたらじわじわと人気が出るかもしれません!
少しずつ駅伝という競技も知られてきているようなので、いつかオリンピックの種目になる日も来るかもしれませんね。
駅伝の碑
さて、京都の三条大橋から出発し、上野不忍池をゴールにして開催された「東海道駅伝徒歩競走」、これを記念して平成14年に「駅伝の碑」が建てられました。
三条大橋と不忍池の二つの地点に同じ形の碑が建てられています。
少しわかりずらいですが上野動物園の弁天門から少しのところに建っているので、ぜひ探してみてくださいね。
アクセス:JR【上野駅】徒歩5分、上野公園内不忍池
まとめ
日本ではこんなに人気のある駅伝が、まさか海外では普及していなかったということに驚きでした…
また、終戦後に新たなスポーツ競技を作って盛り上げるというのも何だか素敵です。
京都三条大橋から上野不忍池までたすきをつないだ当時の選手たちに思いを馳せながら、少し東海道を歩いてみたい気分になりました。