台東区の名前の由来とは|都知事が命名?「台東」は古代中国では縁起が良い言葉! 実は小学校の名前だった?

東京の東側、下町情緒あふれる観光地「台東区」。
あなたは台東区の名前の由来についてご存知でしょうか。
実は台東区という名前は、古代中国を起源とした非常に縁起が良い言葉を組み合わせてつくられており、この街の繁栄を願って名付けられたといわれています。
本記事では、「台東区」という地名に秘められた壮大な歴史と驚きの事実に迫ります。

台東区という名前が誕生したのはいつ?

台東区という名前が誕生したのは1947年(昭和22年)3月15日です。
台東区の前身は「下谷区」と「浅草区」で、2つの区が合併することにより台東区が誕生します。
下谷区には上野、谷中、御徒町、浅草区には浅草、蔵前、浅草橋 などがそれぞれ含まれていました。

台東区の名前の由来とは?

台東区の名前の由来は、当時下谷区にあった「台東小学校」が名前の由来です。
下谷区と浅草区は、それぞれ合併後に誕生する新たな区の名称を区民が考案していました。両区の名称決めは紛糾に紛糾を重ね、ようやく下谷区側は「上野区」、浅草区側は「東区」でそれぞれまとまります。

ところが合併後の名称についてはお互いに譲らず、中々決まりません。
そこで当時の都知事であった安井誠一郎は「台東小学校」に使われていた「台東」の語を採用することを提案します。
両区民は納得し、新しく誕生した区は「台東区」と命名されました。

なぜ「台東小学校」と名づけられたのか?

台東区の名前の由来となった「台東小学校」は、なぜ「台東」と名付けられたのでしょうか。
それは「台東」は、この地域の地理的特徴を反映しているからです。

「台」が付けられた理由

「台」が付けられた理由は、台東区の西部(旧下谷区周辺)は、上野台地と呼ばれる高台に位置していたからです。
そこで上野台地から「台」が使われました。

「東」が付けられた理由

「東」が付けられた理由は、台東区の東部(旧浅草区周辺)は、隅田川沿いの低地で、中心部から見て東側に位置していたからです。
そこで「東」が使われました。
「台東」は上野の台地と浅草の東側という地域の特色を簡潔に表現した名称であったことから、当時下谷区にあった小学校は「台東小学校」と名付けられました。

台東区の名付けの親・安井誠一郎都知事とはどんな人

台東区が誕生した時の東京都知事は安井誠一郎(やすい せいいちろう)です。

1891年3月11日、岡山県生まれ、1962年1月19日に70歳で亡くなられています。

安井誠一郎は初代東京都知事(1947年5月〜1959年4月、3期12年間)です。

戦後の東京を立て直すのに大きな役割を果たした「東京のボス」的存在でした。

戦前は政府の役人で、戦後は東京の復興を一生懸命に進め、都民の生活を良くしようと頑張りました。

「人間は災害のあとで緊張するけど、時間が経つと油断しがち。でも、天災は忘れた頃にやってくるよ」という防災にまつわる名言を残しています。

安井誠一郎が都知事になった1947年は、ちょうど台東区が誕生した年でもあります。

安井誠一郎は、この新しい区の誕生を監督する立場にいました。

当時、新しい区の名前を決めようとしていましたが下谷区側は「上野区」、浅草区側は「東区」を提案しましたが、紛糾してどちらも譲らず決まりません。

そこで最終的に、安井誠一郎都知事の案で、すでに台東小学校に使われていた「台東」という名前が選ばれ、台東区が誕生します。

「台東」は古代中国では縁起が良い言葉

実は「台東」は、古代中国では縁起が良い言葉です。
中国の漢字字典・康煕字典(こうきじてん)に「日出る処、衆人集まって栄える所」として載っているほどです。
康煕字典によると、「台東」には次のような意味があります。

「台」とは?

「台」には「高い場所」「基盤」「安定したもの」などの意味があり、王の座や高貴な地位を象徴した文字です。

「台」を用いた言葉には台覧(皇族など高貴な人が見ること)や台臨(皇族が出席すること)という言葉や「朝廷」「敬意」などの意味もあります。

「東」とは?

「東」には、「東方」「日の出る方向」の意味があります。
古代中国では東は新しい始まりや希望、活力、若さや力強さを象徴した文字でした。
ちなみに康煕字典とは、清の時代(1716年)に康熙帝(こうきてい)の命令で編纂された漢字の字典のことです。
約47,000もの漢字が収録されており、漢字の形、発音、意味、使い方を調べるための重要なツールでした。
今でも漢字研究や書道、歴史を学ぶ人にとって、スタンダードな参考書として使われています。

「台東小学校」の歴史

「台東区」の名前の由来になった台東小学校はどんな歴史を経てきたのでしょうか。

台東小学校は1853年(嘉永6年)に渡邊英之助という漢学者が自宅で「三学庠(さんがくしょう)」という塾をつくったのが始まりです。

その後1875年(明治8年)に「渡邊学校」、1876年(明治9年)に「渡邊小学校」、そして1908年(明治41年)に東京市が渡邊小学校を買い取り、「東京市台東尋常小学校」になり、ここで初めて「台東」の文字が使われます。

この時買収した東京市は小学校に個人名ではなく、地域の特徴を反映させる名前を付けようとしました。

そして地元の人たちに「ここは上野の東側だよ」とわかるように、「台東」という言葉を使います。

なので、「台東」と名付けたのは明治時代の東京市の役人ではないかといわれています。

現在台東小学校は廃校し、公民館になって今も地域の人たちの暮らしを支えている存在です。

まとめ

今回は台東区の名前の由来についてご紹介しました。

東京を代表する観光地である台東区の名前の由来には、地域の地理的、または歴史的特徴が深く関わっています。

地名の背後にある深い意味を知ることで、台東区の魅力を新たな視点から再発見することができるのではないでしょうか。

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smileman

地域の魅力を発信しているフリーライターです。 台東区の歴史、文化、人物、土地、食、芸術、風習、建築物などをわかりやすく紹介します。

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