日本中を虜にした昭和の爆笑王!初代林家三平が愛した台東区根岸!人々と共に笑い、歩んだ伝説が今も息づく街!

2025年は、落語家初代林家三平が生まれてちょうど100年目。
台東区の浅草演芸ホールでは「初代林家三平生誕百年記念興行」が行われました。
初代林家三平の高座は、しどろもどろで、ひっちゃかめっちゃかで、くだらないダジャレのオンパレード。
ところが彼が舞台に上がるとお客が熱狂、一挙手一投足に笑い転げてしまう。
今回は、日本中を虜にした昭和の爆笑王初代林家三平について詳しくご紹介します。

「林家三平」の名前の由来とは?

「林家三平」の名前の由来は、父の屋号「林家」と父の前座名「三平」の2つを合わせた名前を付けてもらったからです。

初代林家三平さんの父親は七代目林家正蔵、その彼が若かりし頃に名乗っていた前座名が「柳家三平」です。

初代林家三平が真打昇進後も改名しなかった理由とは?

初代林家三平さんは、当時では珍しい真打昇進後も改名しなかった落語家でした。
落語家は、真打になると有名な名跡(みょうせき)を継ぐのが一般的で、初代林家三平さんは生涯前座名のままでした。

理由は主に次の3点です。

「三平」に愛着があった

初代林家三平さんは戦後の混乱期にこの名前でデビューし、苦労を共にしながらスターダムにのし上がってきました。

本人にとって「三平」は、単なる芸名ではなく、「自分と一緒に成長してきた戦友」のような存在でした。

「三平」という名前がお客さんに親しみやすかったから

初代林家三平の芸風は、何よりも「大衆」に愛されることを第一にした芸風でした。

改名すると、偉そうな名前になり、お客さんから親しみやすさが薄れていくと考えたからです。

戦争体験があったから

初代林家三平さんは、20歳の時、陸軍に徴兵され本土決戦部隊として肉弾特攻を命じられます。

それは死を待つ以外に選択肢がないという絶望的な状況でした。

この時、本名である「海老名泰一郎」は戦死し、生まれ変わって「林家三平」として生きる決断をしたといわれています。

初代林家三平の代名詞「どうもスイマセン」の誕生秘話

初代林家三平さんの代名詞といえば、額に拳を当てて首を傾げる有名なギャグ「どうもスイマセン」があります。

では「どうもスイマセン」は、どのようにして生まれたのでしょうか。

初代林家三平さんは、寄席、テレビ、ラジオの仕事を1日13本こなすほど多忙で、正月三が日だけで108本の番組に出演するほどの超売れっ子でした。

当時、テレビは生放送で編集ができず、出演者がトークで繋いで時間を調整していました。

それでも時間が余った初代林家三平さんはカメラに向かって「どうもスイマセン」と言うとドカンとウケてしまいます。

「謝るだけでこんなにウケるのか」と気づいた彼は、わざと自分からピンチを招いて「どうもスイマセン」を連発、お茶の間は爆笑の渦になり、それ以降「どうもスイマセン」は彼の代名詞になります。

「客いじり」を発明した天才

初代林家三平さんは、「客いじり」を発明し、芸にまで昇華した天才でした。
初代林家三平さんが落語を始めた頃は、落語家と客は明確に区別されていた時代でした。
ところが初代林家三平さんは、お客さんの動きやしゃべりを見て、機転を利かせて笑いに変えます。
例えば、演目の途中、席を立つお客さんがいると、すかさず「どちらへ」「これから面白くなるんです」

逆に、途中で入ってきたお客さんには「もうそろそろお見えになるんじゃないかって噂してたところなんですよ!」
また子どもがつまらなそうにしていると、「ん?ボクちゃんどう?つまんない?もうすぐね、仮面ライダー出てくるから!」など。

当然、客席はドッカン、ドッカン笑いが起き、客いじり見たさのお客さんも増えるようになりました。

低迷だった寄席にお客さんを呼び込んだ大スター

初代林家三平さんがテレビで人気になる前の寄席は、映画やテレビの台頭で「斜陽産業」と言われ、客席がガラガラでした。

そんな暗い空気を一変させ、寄席に再び行列をつくったのが初代林家三平さんです。

当時の落語は、じっくりと座って物語を聴かせるスタイルでした。

そのため高齢者や玄人が多く、寄席に笑いはなくクラシック音楽の鑑賞会のようにシーンとしていました。

そんな中初代林家三平さんは、高座に上がるなり「加山雄三です」といきなり笑いをとったり、どうでもいい話で客席に座っているお客さんと話をしてウケるようになります。

初代林家三平さんは「落語を聴きに来るお客さん」ではなく、「三平を見に行こう」という新しいファンをつくることに成功。

するとそれまで空席が目立っていた寄席が、入りきれないほどのお客さんで溢れかえり超満員になります。

また寄席に足を運んだことがなかった若い世代や家族連れを呼び込むこともできました。

これは落語界全体の延命に繋がったと言われています。

初代林家三平さんと根岸の関係

初代林家三平さんと根岸の関係は、彼の出生地であり生涯暮らした場所です。

オープンな家庭で、弟子たちが常に住み込み、家族同然に過ごしていました。

訪ねてくる記者や仕事仲間、ファンに対しても、奥様の香葉子さんが温かく迎え入れる「根岸の社交場」のような雰囲気がありました。

高座でもよく「根岸」はネタにされていました。

家族とのやり取りや、近所の人々とのエピソードを面白おかしく語ることで、全国の人々に「根岸」という地名を浸透させます。

初代林家三平さんにとって根岸は、戦後の苦楽を共にした「人生の拠点」そのものでした。

まとめ

今回は、日本中を虜にした昭和の爆笑王初代林家三平についてご紹介しました。

2025年、生誕100周年という記念すべき節目を迎えた今、改めてその功績を振り返ると、彼が単なる芸人ではなく、暗く沈んだ戦後の日本に「笑い」を与えた救世主であったことが分かります。

そして、そのエネルギーの源泉こそが、今も情緒豊かな風景を残す「台東区根岸」でした。

彼が愛し、共に歩んだこの街の路地裏には、今も「どうもスイマセン」という明るい声が溶け込んでいるかのような温かさが満ちています。

ぜひ、この機会に彼が愛した台東区根岸を訪れてみてはいかがでしょうか。

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smileman

地域の魅力を発信しているフリーライターです。 台東区の歴史、文化、人物、土地、食、芸術、風習、建築物などをわかりやすく紹介します。

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