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【台東区に眠る偉人】江戸一番の変わり者!?葛飾北斎とその娘:葛飾応為の半生

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こんにちは。とくらです。

遺跡、寺院、墓所、博物館、美術館…名所を見て回るだけでも一年では足りませんね!

さて、台東区には、今も昔も多くの文化人が居住しています。 落語家や演劇作家、芸人や画家、小説家など、幅広い文化人の住まいとなってきました。

また、寺院の多さから多くの有名人も眠る土地です。

さて、台東区にゆかりのある多くの文化人の中でも、今回は台東区元浅草にある誓教寺に墓地がある葛飾北斎についてご紹介します。


葛飾北斎

葛飾北斎は言わずもがな日本を代表する浮世絵師です。

富嶽三十六景や北斎漫画は有名で、皆さんも一度は目にしたことがあるのではないでしょうか。

その知名度や素晴らしい意匠からCMや広告など、様々なデザインの中でも多く使われていますね。

江戸時代の画家といえば北斎というイメージの方も多いと思います。

それもそのはず、なんと生涯で3万点もの作品を残したというのだから驚きです。

葛飾北斎は1760年、現在の墨田区で生まれました。

その後90歳で亡くなるまでに、なんと30回もの改号(画号を変えること)と、93回もの転居を繰り返したことでも有名です。

こんなに名前を変えたり住所を変えたりしていては、なんとなく不便な気もしますが、それなりに理由もあった様子。

実は、北斎は画号を弟子に譲ることで収入を得ることもあり、このため頻繁な改号を行っていたのではないかという説があります。

また、自分自身の地位・功績をあまり人にひけらかさないようにするために改号を繰り返したという説も。

画狂老人卍などという奇抜な号をつけたりしているので、てっきり自分が面白いと思った名前をその時々で書いているのかと思いましたが、どうやらそうではないようですね。

頻繁な転居の理由は、どうやら絵に集中しすぎるあまり掃除をまったくしないこと。

家が汚くなってくるとすぐに引っ越していたようで、なんと1日のうちに3回も引っ越したことがあるんだそう。

もはや引っ越す方が手間なのでは?と問いただしたくなりますが、余程掃除が苦手だったんでしょうね。

北斎は、20年以上娘の葛飾応為と共に暮らしていますが、二人ともとにかく絵を描くことに没頭したいタイプの画家でした。

来客があると、隣の家から人を呼び出してお茶を入れさせるような親子だったそうです。

また、金銭や衣服、挨拶にも非常に無頓着で、特に金銭に全く執着しないため大活躍している画家だったにもかかわらず、かなりの貧乏生活を送っていたそう。

送られてきた代金は、そのまま包みを開けずにその辺に置いて、米屋などの請求が来ると中身も確認せず放り投げていたというのですから、凡夫たる私の感覚では到底理解も及びません。

時候の挨拶もせず、服も粗末で、常に貧乏。

北斎自身はただただ絵が好きで、上手くなりたいだけなのに、きっと周囲の人からは関わらない方が良いと思われたり、勘違いされることも多かったのでは、と想像してしまいますね。

どれだけ活躍していても、「上手くなりたい」という気持ちを常に持ち続けていた北斎。

なんと「73歳を過ぎたところから色々描けるようになったから86超えたらもっと上手くなると思うし、100歳超えたら点も生きたようになるだろうから長生きしてえ」というような意味のことを作品の後書で記しています。

葛飾北斎の墓所


北斎の墓は台東区元浅草の「誓教寺」というお寺の境内にあります。

墓標には「画狂老人卍墓」と書かれており、辞世の句も刻まれています。

また、同境内には北斎の胸像も建てられているので、ぜひご覧ください。

この胸像の北斎は、とてつもない奇人であったとは信じられないほど優しい表情をしていますよ。

誓教寺
住所:東京都台東区元浅草4丁目6−9 誓教寺
アクセス:銀座線 【稲荷町駅】徒歩5分


北斎の娘・葛飾応為

葛飾応為は浮世絵師で、北斎の三女です。

応為というのは画号であり、名前は「栄(えい)」といいます。

この画号については、父が「おーい」と呼ぶことが多かったからとする説や、逆に「おーい、親父殿」と応為が呼んだから、など、諸説あります。

北斎と応為は長い間共に二人で暮らしており、北斎のアシスタントをすることもあったようです。

多くの転居を繰り返した北斎について回るのは大変だったのではと心配になってしまいますが、応為もかなり変わった人物だったそう。

同じく画家であった夫の絵を下手だと笑って離縁されたり、仙人になろうと茯苓(ぶくりょう)という漢方を飲んでみたりと、確かにお父さんに負けず劣らず変わった人です。

父北斎と同じく完全に奇人カテゴリではありますが、やはり応為も画才と絵に対する熱意は大変なものでした。

応為がある日煙草を吸っていると、うっかり北斎の絵の上に火種を落としてしまい、これをとても後悔してしばらくの間禁煙していたそうです。

父の描く絵を父以上に大切に思っていたのではないかと夢想してしまいます。

また、親子ともに絵を描くのに没頭するあまり、家の中を掃除したり、食事を作るということはなく、貰った魚などはすぐに人に譲っていたそう。

本当に絵を描くこと以外には何もしたくなかったんだろうなあ。

画才については、北斎も認める天才浮世絵師です。

応為のタッチは非常に繊細で、特に美人画などは北斎自身が「応為には適わない」と語ったとも言われています。

北斎作といわれている作品の中にも「これは応為が描いたのでは?」と思われる作品が多く残っており、特に北斎が80歳以降の肉筆の作品では応為の代筆と考えられるものが多いそうです。

子は父譲りの画才があり、更に父譲りの変わり者で、この二人は親子で暮らし共に作品を作るのが一番合っていたのかもしれませんね。

なんだか応為の結婚生活はとても想像できません。


まとめ

多くの場所に転居し、最後は元浅草で眠ることになった葛飾北斎。

その功績とともに、人柄も知っていくと、更に作品を面白く見ることができるかもしれませんね。


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ライター紹介

とくらじゅん

イラストレーター・ライター

1991年生まれ。下町暮らしのフリーライター・イラストレーター。 妖怪イラスト、育児漫画、ADHDエッセイなどを書いています。
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