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【台東区に眠る偉人】粟田口国吉を愛刀とした山岡鉄舟とは?江戸無血開城の立役者

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こんにちは、とくらです。

以前池波正太郎先生をご紹介した記事でも書いたように、私は生粋の幕末っ子。

修学旅行で訪れた北海道や京都でも、幕末の跡を辿るコースを組んで同じグループのクラスメイトを困惑させたものです。

青春を幕末に思いをはせることに費やし、毎日歴史小説や幕末の記録などを読み漁っていました。

そして、これは幕末ファンあるあるだと思いますが、剣術の流派や刀の沼にもずぶずぶとハマっていきます。

北辰一刀流や天然理心流、神道無念流、柳生新陰流…etc

それぞれの流派や刀にハマっていくと幕末以外の時代にも手を出すことになり、どんどん深みにはまっていくのです…

さて、今回はそんな私を日本史沼に突き落とした幕末の志士の中から、台東区谷中にある全生庵に墓地がある山岡鉄舟についてご紹介します。


山岡鉄舟


山岡鉄舟といえば、江戸無血開城の立役者です。

もう写真がまずめちゃくちゃかっこいいのでぜひ見ていただきたい!

本当に現代でも普通にかっこいい。

身長もとても高く、188㎝もあったそうです。

江戸時代の男性の平均身長は158㎝だったと言われていますから、当時としては規格外の体格だったのではないでしょうか。



山岡鉄舟は江戸の本所で生まれました。

現在の旧安田庭園のあたりですね。

父は知行主である小野朝右衛門高福、母は塚原卜伝の子孫である塚原磯です。

非常に武術を重んじる家庭であったため、幼少期から多くの武術を学びました。

9歳で神陰流を学び、15歳の頃からは北辰一刀流を学んだといいます。


また、この頃弘法大師流入木道51世の岩佐一亭に書も学び、その後52世となり「一楽斎」を名乗っていました。

なんと、あのあんぱんで有名な木村屋の看板は鉄舟が書いたものです。

正に文武両道ですね。

神、色々与えすぎでは…



21歳の時、清河八郎らとともに尊王攘夷を標榜する「虎尾の会」を結成します。

尊王攘夷とは、天皇を尊び外敵を退けるという思想です。

翌年、江戸幕府により徳川家茂の上洛にあわせて、将軍警護をするための組織「浪士組」が結成されますが、実はこれは清河八郎の発案。

浪士組は身分を問わず誰でも参加できる組織で、過去に犯罪を犯した者や武士ではない農民も参加することができました。

この浪士組の最初の取締役となったのが山岡鉄舟です。

浪士組には近藤勇や芹沢鴨、土方歳三らも参加しており、この組織の一部が後に新選組となりました。

集められた浪士組が江戸を出発し、京都の壬生村に到着すると、清川八郎は「本当の目的は将軍警護ではない。尊王攘夷の先鋒となることだ!」と演説し、芹沢鴨・近藤勇から猛反発を受けます。



結局、「おやおやおや?」とおかしな気配を察した幕府によって浪士組は江戸に呼び戻され、鉄舟も江戸に戻ることとなりました。

江戸に呼び戻された後、清川八郎は暗殺され、鉄舟も謹慎処分を受けます。



この時に袂を分かった面々が新選組になっていったんですね。

将軍の警護だと思ったら倒幕組織だったというのは、流石に集められた人たちも驚いたと思います。

というか、絶対すぐバレると思うんですが、清川八郎には何か勝算があったんでしょうか…



その後、鉄舟は徳川慶喜の護衛組織「精鋭隊」の歩兵頭となります。

そこで、徳川慶喜の使者として西郷隆盛、勝海舟と面会し、勝海舟が西郷隆盛宛てに書いた書を届けました。

隆盛に海舟からの手紙を届けに行く際、官軍の警護する中を堂々と「朝敵の徳川慶喜の家来、山岡鉄舟が通る!」と大声で言ったそうです。

体格もさることながら、精神的にもかなり豪胆な人物ですね。

徳川慶喜の意向を西郷隆盛に伝えると、隆盛は朝廷との交渉に際して五つの条件を出しました。

・江戸城を明け渡すこと

・城の中の兵を向島に移すこと

・武器を全て差し出すこと

・軍艦を引き渡すこと

・将軍慶喜の身柄は備前藩にあずけること

鉄舟は最後の条件を頑として受け入れませんでした。

この主君への忠義に心動かされた隆盛は、徳川慶喜の身の安全を保証し、これによって無血開城への道が開いたのです。

隆盛と海舟の会談以前に、実は既に鉄舟と隆盛の間でほとんど話はついていたということですね。


明治維新後、様々な要職に就き、47歳の頃、維新の動乱の中で殉死した人々を弔うため、谷中に「全生庵」を建立しました。

53歳で没した鉄舟は、現在ここに眠っています。

全生庵


鉄舟が開いた「全生庵」は現在も谷中にある臨済宗国泰寺派の寺院です。

落語の名人・初代三遊亭圓朝の墓があることから、落語のイベントなども行われています。

鉄舟が圓朝の禅の師匠だった縁で全生庵に入ることになったようです。

剣術・書道にとどまらず、禅も師匠のレベル…

亡くなるときの姿勢は瞑想するときの座り方「結跏趺坐」だったといいます…

また、全生庵は、圓朝が集めた多数の幽霊画コレクションを収蔵していることでも有名で、夏の圓朝まつりの間一般公開されますよ。

これは気になる…!

アクセス:各線【日暮里駅】徒歩10分・【千駄木駅】徒歩5分


まとめ


山岡鉄舟、調べていると改めて本当にすごい人だと感じました…

愛刀がゲームでも有名な「粟田口国吉」だったり、書のすごい人だったり、豪胆な逸話が多々あったり、とまだまだ色々なエピソードが盛りだくさんですが、今回はここまで…!

別の機会に山岡鉄舟について触れるかもしれません。

また、鉄舟の墓がある「全生庵」もとても興味深いお寺です。

近くの谷中霊園にある徳川慶喜公の墓所と一緒に訪れてみてはいかがでしょうか?



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ライター紹介

とくらじゅん

イラストレーター・ライター

1991年生まれ。下町暮らしのフリーライター・イラストレーター。 妖怪イラスト、育児漫画、ADHDエッセイなどを書いています。
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