雷門・大提灯と商売の神様「松下幸之助」!?浅草寺が持つ奇跡のパワーで病癒して健康長寿で商売繫盛!

東京の下町に佇む、浅草寺(せんそうじ)の荘厳なる玄関口「雷門(かみなりもん)」。
古くから人々の心を捉えて離さないこの門は、浅草寺の象徴として、数え切れないほどの旅人や参拝者を迎え入れてきました。
そんな雷門には、ひときわ目を引く大提灯(だいちょうちん)が飾られています。
ところでこの大提灯には商売の神様「松下幸之助(まつしたこうのすけ)」の名前が入っています。
今回は、なぜ大提灯に松下幸之助の名前が入っているのかについて、どこよりもわかりやすくご紹介します。

なぜ、雷門の大提灯に「松下幸之助」の名前が入っているのか?

雷門の大提灯に「松下幸之助」の名前が入っている理由は、あることがきっかけで松下幸之助が浅草寺に、「雷門」と「大提灯」を寄贈したからです。

そのあることとは当時、事業で大成功を収めた松下幸之助が、成功の代償として人生最大の試練に直面し、絶望の淵をさまよっていたことです。

その松下幸之助を救ったのが、当時浅草寺の貫首(かんじゅ:住職のトップ)、清水谷恭順(しみずたにきょうじゅん)大僧正(だいそうじょう)でした。

松下幸之助はそのお礼に、浅草寺に雷門と大提灯を寄贈します。
ただし大提灯に、自身の名前を入れたのは松下幸之助本人ではありません。
次の章から、雷門の大提灯に「松下幸之助」の名前が入ったいきさつについて詳しくご紹介します。

そもそも「松下幸之助」とはどんな人物なのか?

松下幸之助とは、貧しい丁稚奉公(でっちぼうこう)から這い上がり、後に家電王として日本一のお金持ちになった、商売の神様と称される伝説の起業家です。

1894年、和歌山に生まれた松下幸之助は、父親が米相場(米の先物取引)で失敗し、先祖伝来の土地と家を借金のかたにとられてしまい、以来極貧の生活を送ります。

9歳で小学校を退学し、家計を助けるため丁稚奉公に出され、過酷な労働の日々を送りました。

そんな苦難の末、22歳でわずか95円(当時のサラリーマン2か月分の給料)の資金で独立。

四畳半の家の半分を工場にして、たったの二畳部屋から松下電器を創業し、現在のパナソニックをつくり上げます。

1989年に94歳で亡くなった時の個人資産は約2450億円といわれ、生涯個人資産は5000億円以上で、日本一のお金持ちとなりました。

※2025年7月30日時点のパナソニックホールディングス株式会社の最新の資産総額は9兆2,658億円です。

雷門とはどんな門なのか?

雷門とは、浅草寺の総門(寺域全体の玄関口という意味)のことです。
風神像と雷神像の2体が守護することから、正式名称「風雷神門」と呼ばれています。
雷門という名前は通称です。
942年(天慶5年)に平公雅(たいらのきんまさ)によって創建されました。
雷門は、これまでに合計3回焼失し、そのたびごとに再建されています。

大提灯の奉納はいつから?

雷門に大提灯が奉納されたのは、創建された942年(天慶5年)ではありません。

創建から約850年後の1795年(寛政7年)からです。

大提灯の最初の奉納者は、意外にも雷門の屋根を葺いた屋根職人といわれています。

彼らは再建工事の完了を祝い、門の中央に大提灯を吊るす形で寄進しました。

ちなみに寛政の雷門こそ、当時の人気絵師歌川広重、渓斎英泉、歌川豊国、魚屋北渓たちから好んで描かれ、浮世絵の人気の画題となり、現在に江戸の風情として残されています。

松下幸之助と浅草寺との出会い

ところで松下幸之助と浅草寺との出会いは、1955年(昭和30年)頃です。

松下幸之助は事業拡大中でしたが、神経痛と関節痛に悩まされ、歩くのもつらいほどの激痛に苦しんでいました。

医者にも相談しましたが、なかなか改善せず、心身ともに疲弊していました。
そんな折、浅草寺の清水谷恭順大僧正と出会います。
清水谷恭順大僧正は、病気の平癒(回復)を本尊観音様に祈願してくれました。

ただし松下幸之助は最初は、半信半疑で軽い気持ちで祈願をお願いします。
祈願の後、病気がみるみる回復します。
松下幸之助はお礼としてテレビを寄贈しましたが、まだこの時は「雷門」の話はでてきません。

「門なき雷門」の状態で95年間放置

雷門は1865年(慶応元年)12月に焼失し、約95年間「門なき雷門」の状態で、放置されていました。

そのため浅草の人々や多くの参拝者からは早く再建してほしいという切実な願いの声が絶え間なく上がっていました。

当時の人々にとって、雷門は浅草寺の象徴であり、その不在は寺域の玄関口にぽっかりと空いた穴のように感じられ、参拝の風情を損なう寂しさを生んでいたのです。

10秒で即断即決「雷門の再建」

病気の祈願から3年後の1958年(昭和33年)12月、今度は清水谷恭順大僧正の方から、松下電器東京支店を訪れます。

清水谷恭順大僧正が訪れた理由は「雷門の再建」です。

浅草の人々や多くの参拝者は、雷門の再建を切望していましたが、資金不足でまったくの手つかずでした。

そこで清水谷恭順大僧正は松下幸之助に相談し、正直にお金がないことを伝えます。
松下幸之助は10秒ほど考え、雷門の再建を即断即決し約束します。
ただしこの時、松下幸之助から条件が出されました。

それは「雷門の再建はするが、自分の名前は出さずに匿名で」というのが松下幸之助の出した条件でした。

大提灯に「松下幸之助」が名入れされた本当の理由

もともとは大提灯に「松下幸之助」の名前が名入れされる予定はありませんでした。

これは松下幸之助の謙虚な性格によるもので、当時の財界人として寄付を公にせず、静かに報恩を果たしたいという願いから来ています。

実際、松下幸之助は生涯を通じて多くの寄付を非公表としており、雷門のケースもその一例のはずでした。

ところが「雷門の再建」ができることに大喜びした清水谷恭順大僧正は「松下幸之助さんが匿名で寄付してくれた!」と触れ回ってしまい、寄贈の事実が新聞やメディアで広く報じられ、匿名は守れませんでした。

そして結果的に大提灯に「松下幸之助」の名前が名入れされることになったのです。

まとめ

今回は、なぜ大提灯に松下幸之助の名前が入っているのかについてご紹介しました。

雷門の大提灯に松下幸之助の名前が名入れされている理由は、「雷門の再建」をしてくれたことに喜んだ清水谷恭順大僧正や浅草寺側が、財政難を救った恩義を松下電器の宣伝という形で返すために意図的に行ったといわれています。

ちなみに現在「松下電器」の名前はなくなりましたが、後を継いだ「パナソニック」が10年ごとに新品の赤提灯を寄贈して現在でも浅草と浅草寺との関係は続いています。

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smileman

地域の魅力を発信しているフリーライターです。 台東区の歴史、文化、人物、土地、食、芸術、風習、建築物などをわかりやすく紹介します。

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