【台東区に現れた妖怪の話】夜な夜な草を食む絵馬の馬|浅草観音

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こんにちは、とくらです。

風鈴の音も涼を感じさせてくれない程の暑さ…

夏休みが始まった子どもが元気にプールに向かう姿には尊敬すら覚えます。

もう私には元気いっぱいに日差しの中を駆けていく元気はないようです…

そういえば、子どもの小学校には二宮金次郎の像があり、背負っているまきの数を数えると呪われるという七不思議があると上級生に教えてもらったそうです。

こんな暑い日は、ちょっと不思議な話の一つもしたくなりますね。

今回は、浅草観音の「絵馬の馬」というお話です。

絵馬の馬

江戸の浅草観音堂にかかっている絵馬の額は、絵師・狩野元信によって描かれたものでした。

非常に精緻に描かれた、神秘的なほどの尊さが感じられる作品であったため、夜な夜な絵馬から馬が抜け出して草を食べるようになったそうです。

これに困った人々は、彫刻家・左甚五郎に頼んで絵の中の馬を鎖で繋ぐように描きこんでもらいました。

するとどうでしょう、ぱったり馬は絵馬から抜け出すことはなくなったそうです。

この絵馬は戦火で焼失してしまい見ることはできませんが、江戸時代の浅草では、絵馬の馬が夜ごと草を食べて歩いていたんですね。

これは浅草観音堂のお話ですが、全国各地にほとんど同じ内容の怪異譚が伝わっています。

例えば、青森県の南津軽郡の怪異として

「古懸不動の、狩野法眼が描いた絵馬の馬が田畑を荒らしたので、手綱を描き添えた。」

というお話が伝わっています。

狩野法眼とは古法眼とも呼ばれる狩野元信のことです。

また、東京都八王子市の浄福寺でも狩野元信の絵馬の馬は田畑を荒らし、この馬は人に怪我をさせたために手綱を描き添えたそうです。

狩野元信の描いた馬、やんちゃですねぇ…

埼玉県東松山市にある岩殿観音の絵馬は、抜け出て田畑を荒らすため、手綱を描き添えたところ、居なくなってしまいました。

居なくなったとなると、抜け出したままなのでは、という疑問もありますが、どうやら手綱や鎖を描き加えることで絵に描かれた馬の害は解決されるようですね。

田畑を荒らす絵馬は狩野元信によって描かれたものだけではありません。

広島県にある宮崎神社という神社の絵馬は雲谷等顔という絵師によって描かれたものでしたが、夜な夜な抜け出していたという話があります。

他にも、白川芝山や雪舟、浅草では馬事件に解決をもたらした左甚五郎の作というものも。

絵馬の馬、抜け出しすぎでは…

夜な夜な出歩く美術品たち

江戸時代、絵馬の馬があまりにも徘徊するので驚いてしまいましたが、絵画から抜け出すのは馬だけではありません。
・鷹
・竜
・虎
・猫
・猿
…etc
絵から抜け出したので人間がびっくりして退治したり、絵の中に閉じ込めてきた動物は多くいます。
弘前城では、皆さんおなじみの狩野元信が描いた襖絵の鷲が飛び回ったため、眼を潰したところ出てこなくなったといいます。
愛知県の日吉神社では、猿が絵馬から抜け出して田畑を荒らし、こちらでは眼を布で覆ったところ解決。もちろんこの絵馬を手掛けたのは狩野元信です。
また、こちらは絵画ではありませんが、新潟県の加茂神社にあった、左甚五郎の彫刻の鶏は、毎朝鳴くために迷惑に思って矢で射られたそうな。
左甚五郎の彫刻はとにかく動きがちで、鶏の他にも鴨、虎猫、鯉、竜馬などが夜な夜な動き回っては、目をつぶされたり足を切られたりして退治されています。
芸術家は作品に命込めるとは言いますが、どうやら甚五郎は作品に命を与えすぎたようです。
しかし、対処法が馬は手綱を描き入れる、だったのに対して、他の動物では目をつぶしたり、目を隠したり、と目を見えなくしてしまうことで解決しているのが面白いですね。
馬は昔の人々にとって身近な存在であり、手綱で繋いでしまえばどこかに行くことはないだろうという気持ちが大きかったのかもしれません。
また、他の動物たちはまさに画竜点睛のエピソードを想起させますね。
画竜点睛は、龍の瞳を描き入れた途端に、壁から抜け出して飛んで行ってしまった、というエピソードが転じて最後の重要な仕上げをすることを指すようになりました。
外界を見る目が非常に重要な器官であり、目によって生命力が与えられるという考え方が広く信じられていたのかもしれません。
確かに、今でも目に魂が宿るという考え方をすることがありますよね。
仏像の開眼供養などは、わかりやすい例です。
開眼供養では、仏像落成の際、最後の仕上げとして目を描き入れることで仏像に魂を込めます。
目が開くことで作品に魂が宿り、完成するというわけです。

まとめ

浅草観音堂の絵馬の話を知った時は「すぐに見に行こう!」と思ったものですが、残念ながら焼失しており、現在見ることはできません。

しかし、上野東照宮の唐門に彫られた昇り龍は左甚五郎の作と伝えられています。

正に「神絵師」「神彫刻家」である彼の作品を実際に目にしたら、何か感じるものがあるかもしれませんね。

また、各地に絵師のだれそれが描いた絵馬が田畑を荒らすという、ディティールまでがほとんど同じ話が伝わるということは、何か意味がありそうです。

なぜ「あの馬は絵馬の馬だ」と断定できたのか。

全く同じ話は自然に発生したのか、広まっていったのか。

気になることは尽きませんね。

皆さんも、動物をモチーフにした作品を見かけたら、「目はあるか?」「鎖で繋がれていないか?」を確認してみてください。

もし故意にその動物の目が塗りつぶされていたら、それはもしかして…

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ライター紹介

とくらじゅん

イラストレーター・ライター

1991年生まれ。下町暮らしのフリーライター・イラストレーター。 妖怪イラスト、育児漫画、ADHDエッセイなどを書いています。
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