なぜ上野動物園に日本初のパンダがやって来たのか?!日中友好のシンボル!選ばれた驚きの裏側

下町の賑わいと歴史が息づく台東区。
その象徴的スポットが「上野動物園」です。
1972年、中国から日中友好のシンボル「カンカン」と「ランラン」のパンダカップルが来園しました。
この2頭の可愛い外交官は、日本中を熱狂の渦に巻き込み、以降パンダブームを巻き起こす火付け役になります。
今回は、なぜ上野動物園に日本初のパンダがやって来たのかについて、どこよりもわかりやすく解説します。

なぜ、上野動物園は日本初のパンダの来園先に選ばれたのか?

上野動物園が日本初のパンダの来園先に選ばれた理由は、上野動物園には他の動物園にはない5つの総合力があったからです。
上野動物園に日本初のパンダがやってきたのは1972年です。
この年に、中国との国交正常化を記念し、その「友好のシンボル」として2頭のパンダが日本に贈られました。
そんな中、日本政府からパンダの受け入れ先として白羽の矢が立てられたのが、最も信頼性とポテンシャルが高かった上野動物園です。
上野動物園は5つの総合力で、日本側のパンダの受け入れ先として決定されました。
こちらでは上野動物園が選ばれた5つの総合力について詳しくご紹介します。

日本で最も有名な動物園だったから

1つ目の理由は上野動物園は日本で最も有名な動物園だったからです。
開園当初の上野動物園は、博物館に隣接した付属動物園として開園します。
ところが開園1年目から約20万人の来園者を集め、東京の人気観光スポットとなりました。
その後、まだ多くの日本人が見たことがなかったトラ、ゾウ、キリンなどが続々と海外からやってきて、上野動物園の人気をさらに高めていきます。
ちなみにパンダが来日する前年には401万人が来園する日本一有名な動物園になります。

首都東京にあったから

2つ目の理由は首都東京にあったからです。

上野動物園は首都東京にあり、しかも東京の中心部にあります。
そのため国内外のメディアが集まりやすく「パンダを中国からの贈り物」として、国民や海外にアピールしやすかったからです。
もし、地方の動物園だと、大手メディアからの取材が難しくなるので、候補から外されてしまいます。
また、近くに上野駅があり、全国から人が集まりやすい場所にあったからというのも選ばれた理由の1つです。

ちょうど、新しい施設が完成していたから

3つ目の理由はちょうど、新しい施設が完成していたからです。
ただし新しい施設とはパンダのための施設ではありません。

1971年に新築されたばかりのトラのための「新トラ舎」でした。

新トラ舎は園内で最も新しく清潔で、構造が頑丈だったため、急遽改修して「パンダ舎」として使用することになりました。
そのため観客の安全と視認性を考慮し、ガラス張りに変更され、従来の鉄格子を残しつつ、透明性を高めることに成功します。
ちなみに翌年の春には、約4,000万円を投じて新築の「パンダ舎」が完成し、パンダたちは引っ越していきました。

日本で唯一パンダに詳しい専門家がいたから

4つ目の理由は日本で唯一パンダに詳しい専門家がいたからです。

その専門家とは後に多摩動物公園園長、上野動物園園長になる中川志郎さんです。
中川志郎さんはヨーロッパ海外研修中にロンドン動物園を訪れ、オスの「チチ」とメスの「アンアン」というパンダのつがいを1週間観察・実習した唯一の日本人でした。
この経験が、彼を「日本で唯一パンダに詳しい専門家」として位置づけます。
中川志郎さんはカンカンとランランが初来日した時には飼育リーダーに就任します。
来日決定からわずか1ヶ月という異例の短期間で、上野動物園の受け入れ体制を整える中心人物として活躍しました。

パンダ来日が急遽決まったから

5つ目の理由はパンダ来日が急遽決まったからです。

もともと中国からパンダを日本に贈る話はありませんでした。

ところが日本の田中角栄首相が、中国の周恩来首相との会談において、日中国交正常化が約束されたことで、会談の場で周恩来首相が突然「友好の使者」としてジャイアントパンダのつがいを日本に贈呈することを提案します。

田中首相は即座にこれを快諾しました。

贈与決定後、政府(外務省・総理官邸)は全国の動物園に打診しましたが、飼育経験ゼロの日本でパンダの受け入れは前例がなく、候補は上野動物園に絞られました。

来日決定からわずか3週間後の10月28日到着というタイトスケジュールで、中川さんは園長の浅野三義さんと共に総理官邸に呼ばれ、「国家事業」として受け入れを命じられ、正式に決定します。

その後、カンカンとランランが上野動物園にやってくると、2時間待って30秒しか見られないという空前のパンダブームが起こりました。

女性ファッション誌「anan」は実はパンダの名前だった!

20代の女性をターゲットに、ファッション、美容、恋愛などのトピックを幅広く扱い、旬の芸能人やアイドルをフィーチャーしたグラビア誌「anan」ですが、その名前の由来は実はパンダです。

当時モスクワ動物園にいたメスのパンダ「アンアン」が名前の由来となっています。

このパンダは、上野動物園の中川志郎さんが観察したことがあるパンダでした。

そして、この雑誌の名付け親は、当時からパンダ好きとして知られる黒柳徹子さんです。

流行を発信するファッション誌がパンダをアイコンに据えたことで、「パンダ=カワイイ」という感覚を日本人に強く印象づけることに成功します。

ちなみに、「anan」が創刊されたのは、上野動物園にカンカン・ランランが初来日する2年前のことです。

まとめ

今回は、なぜ上野動物園に日本初のパンダがやって来たのかについてご紹介しました。

1972年、日本初のパンダカンカン・ランランが上野動物園に来園してから日本中はパンダブームに湧きました。

上野動物園は他の動物園にはない、5つの総合力を持っていることで、パンダの健康管理を良好に保ち、毎年多くの日本人に笑顔を届けることに成功しています。

さあ、あなたもこの機会に上野動物園を訪れて、現在の人気者「シャオシャオ」と「レイレイ」に、ぜひ会いにいってみませんか。

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smileman

地域の魅力を発信しているフリーライターです。 台東区の歴史、文化、人物、土地、食、芸術、風習、建築物などをわかりやすく紹介します。

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