12月17日(日)~19日(火)|浅草寺歳の市(羽子板市)開催!

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こんにちは、とくらです。
早いもので、実は2023年、もうすぐ終わるらしいです…

ええええええ

早い、早すぎる…
正直まだ3月くらいのテンションで過ごしていたら、すっかり寒くなってもう年の瀬が目の前に…!
今年が、今年が終わってしまう…!
ということで、今回は浅草で毎年行われる「歳の市」をご紹介します。

浅草寺歳の市

浅草の歳の市は毎年12月17日〜19日に行われます。
「歳の市」とはその年最後に行われる市のこと。
完全に年末のイベントですね…!
毎年12月17日から19日までの3日間、台東区の浅草寺で「羽子板市」が開催され、江戸時代から続く伝統行事となっています。
「歳の市」は神社仏閣の縁の日に商売を行うもので、浅草の歳の市は1659年の両国橋架橋時に始まり、新年や正月用品が主になりました。
特に、浅草の市では押絵羽子板が注目を浴び、市は「羽子板市」として知られ、大繁盛。
市では江戸時代さながらに羽子板や正月用品が一堂に並びます。
床を張ったにわか座敷店や舞台に飾られた羽子板が、賑やかな雰囲気を作り出し、境内は大勢の人で賑わいます。 江戸時代には歌舞伎の人気役者の羽子板が人気を集め、その売れ行きは役者の人気の指標となったほど。 昔は羽子板市が唯一の商いの場であり、女性たちは贔屓の役者の羽子板を求めて急いで帰ったと伝えられています。
現在も「羽子板市」の当日は、仲見せ通りが大勢の人で賑わい、日本人の心に残る風物詩として大切にされ、多くの人々に親しまれているのです。

羽子板とは…

もういくつねるとお正月
お正月には まりついて
おいばねついて 遊びましょう
はやくこいこいお正月
これは童謡「お正月」の2番です。 ここに出てくる「おいばね」というのが複数人で羽根つきをすることです。
羽根つきに用いられる羽子板ですが、何となく装飾のイメージが強いですよね。
実は、羽子板は遊びに使われる以外にも、かなり昔から装飾的な意味合いが大きかったようです。
羽子板は儀式に使われたことから始まり、室町時代にはお正月の遊戯や贈り物として広く用いられました。
「胡鬼板」や「羽子木板」と呼ばれ、羽子の部分は「胡鬼の子」「はごの子」「つくばね」とも。
その起源は宮中で行われた「こぎの子勝負」にまでさかのぼります。
これは殿上人や宮中の女官たちが男女に別れて対戦し、負けた方が酒を振舞うというもので、正月5日に行われました。
戦国時代からは羽根つきが厄払いの儀式として行われ、江戸時代には年末に羽子板を贈る習慣が生まれます。 江戸時代初めには「押絵」が導入され、羽子板には立体的な絵柄が施されるようになりました。 現代においても、押絵羽子板はその伝統的な技法を受け継ぎ、歌舞伎の発展とともに進化し続け、多くの人々に愛されています。
江戸時代末期には、錦絵の影響を受けた押し絵や役者似顔絵の羽子板が登場し、名優たちの登場も羽子板文化を豊かにしました。 明治時代に入り、歌舞伎の黄金時代が到来すると、羽子板は江戸工芸として完成し、九代目団十郎や初代左団次らの名優の絵が施されました。
羽子板は災厄を払い、幸福を祈る意味が込められ、お正月の遊びや新年の贈り物として用いられます。 羽子板の特徴的な部分である羽根には、無患子(ムクロジ)の種が付いており、「子が患わ無い」や「無病息災」の意味が込められています。 また、羽根がトンボに似ていることから、病気を運ぶ蚊を寄せ付けないようにという祈りも表れています。 羽子板といえば美しい装飾の板の部分に注目しがちですが、実は羽根も非常に縁起がいいものだったんですね。

まとめ

もういくつ寝ると、お正月。
本当に今年も色々ありましたが、みなさんどんな年を過ごされたでしょうか?
何にもできなかったなあ、という方も、まだまだ巻き返せますよ!
残りの数週間も思い残すことなく楽しく過ごしたいものですね。
浅草の歳の市は12月17日(日)〜19日(火)。
ぜひ今年の締めくくりに、来年の支度にと訪れてみてはいかがでしょうか?

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ライター紹介

とくらじゅん

イラストレーター・ライター

1991年生まれ。下町暮らしのフリーライター・イラストレーター。 妖怪イラスト、育児漫画、ADHDエッセイなどを書いています。
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