【鎌倉殿の13人】征夷大将軍・源頼朝が台東区に残した足跡をたどる【浅草・白髭橋】
こんにちは、とくらです。
毎年、大河ドラマでモチーフとなった歴史上の人物は非常に話題になりますよね。
今年2022年はNHK大河ドラマ第61作である「鎌倉殿の13人」が放送され、平安末期から鎌倉前期にかけての権力を巡る駆け引きや人間模様が描かれました。
この「13人」とは源頼朝の死後に御家人で構成された「十三人の合議制」のことを指しています。
鎌倉幕府を開き鎌倉幕府初代将軍となった源頼朝、本作で演じるのは大泉洋さんです。
今回は、台東区に残る、源氏のプリンス「源頼朝」の足跡をご紹介します!
源頼朝とは?
皆さんご存じの源頼朝。
平安時代末期から鎌倉時代初期の武将で、鎌倉幕府を開いた人物です。
清和源氏の流れを継ぐ、源義朝の三男として生まれ、平安時代末期の日本ではまさにプリンスといった出生ですね。
現在の愛知県名古屋市熱田区で生まれ、幼名を「鬼武者」といいます。
武士としての期待を一身に背負ったとても強そうな幼名です…!
一流の家系に生まれた頼朝ですが、この後平治の乱で父・義朝が平家に敗北し、伊豆国へ流刑となりました。
この時まだ頼朝は13歳。
本当は死罪となるところだったのですが、平清盛の継母の嘆願もあり、死罪は免れました。
頼朝が伊豆国で過ごした期間はなんと20年。
この間に北条政子と婚姻したり、子を成したりと、流刑とはいえ完全に土地になじんでいる感がありますね。
さて、1180年、後白河法皇の皇子である以仁王が、平家の追討を命じる令旨を諸国の源氏に発しました。
この令旨を受けると、頼朝は北条時政、北条義時などの坂東武士とともに平家打倒の兵を挙げ、鎌倉を本拠として関東を制圧します。
長く伊豆国での生活を送っていましたが、いよいよ頼朝の躍進です。
この活躍により内乱も終結、1192年、後白河法皇が崩御した後、後鳥羽天皇によって頼朝は征夷大将軍に任じられました。
台東区に残る源頼朝の足跡
浅草寺
平家追討のため挙兵した源頼朝は、石橋山合戦(神奈川県)で敗北し、安房(千葉県)に逃れて鎌倉を目指す途中、浅草寺で戦勝祈願をしました。
浅草寺本堂東南に位置する神木・いちょうは、この時頼朝が挿した枝から発芽したと伝えられています。
今も葉が生い茂り、大きく伸びる立派な銀杏の木ですが、樹齢800年を超える古木です。
昭和5年に天然記念物に指定されましたが、昭和20年3月10日の戦災で大半を焼失し、頼朝の足跡と、戦禍を現在に伝えています。
住所:東京都台東区浅草2-3-1
アクセス:各線【浅草駅】より徒歩6分
白鬚橋
西岸は荒川区南千住三丁目と台東区橋場二丁目を分かつ白髭橋。
先ほどの浅草寺での戦勝祈願をした後、頼朝は武蔵国を目指して再び進行を始めます。
大雨で増水した隅田川を前に、5日間も足止めされた頼朝は、この地を治めていた江戸重長の助けを借り、船3000艘を浮かべて、船橋を架け大軍を対岸へと渡した、という言い伝えが残っています。
これは、隅田川で最初の橋だったと言われているそうです。
想像もできない程多くの船を用いていますが、個人的には少し盛ってるのではないかと思っています。
住所:東京都墨田区堤通2丁目、台東区橋場2丁目
アクセス:
日比谷線【南千住駅】南口20分
東武伊勢崎線【浅草駅】約34分
袖摺稲荷神社
袖摺稲荷神社は、浅草にある稲荷神社です。
この社は源頼朝が伊豆国に蟄居中、米などの穀物が不足しないようにと稲荷の御神体を彫刻して建立したと言われています。
その後、北條早雲が小田原へ遷座し、小田原落城後に小西半右衛門が隅田へ奉遷、德川家綱が遷座したそうです。
参拝者が列をなして訪れ、袖を摺りあうほどであったことから袖摺稲荷神社と呼ばれるようになりました。
住所:東京都台東区浅草5丁目48−9
アクセス:各線【浅草駅】徒歩15分
東京国立博物館
東京国立博物館には、「木造伝源頼朝坐像」が保管されています。
これは、鎌倉の鶴岡八幡宮に伝来した源頼朝とみられる像です。
烏帽子に狩りの服装であぐらをかいたような姿で座っています。
鎌倉時代、頼朝没後100年あたりに制作されたものだと言われており、鶴岡八幡宮では多くの武士の礼拝を受けてきました。
あの天下人・豊臣秀吉はこの像の肩を叩きながら、「私は百姓の身から、お前は罪人の身から天下を取った。こんな境遇から天下人になったのは、俺とお前だけだろう」と語りかけたとも伝えられています。
頼朝が後世の武士からも敬わられていたことがわかるエピソードですね。
住所:東京都台東区上野公園13-9
アクセス:各線【上野駅】徒歩15分
まとめ
平家討伐の際に、実は頼朝が通った場所、というのは関東地方に広くに存在しています。
また、最後にご紹介した東京国立博物館の木造伝源頼朝坐像のように、生前の面影を思い起こさせる彫像や絵画も。
「頼朝が座った岩」や「参拝した寺社」は各地に多く残っているので、近くにそんな場所がないか調べてみると、頼朝の行軍が少し身近なものに感じられるかもしれませんね。